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親密な関係性の中にひそむ・・・・

 【24//2014】

斎藤義龍が恐れた織田・明智の親密な関係


明智家臣
織田弾正忠家 と 土田家、明智家、生駒家のつながりは、古くから絡み合っていて深いものがある。

織田上総介信長の生母である土田御前は、美濃国可児郡土田城主土田下総守政久の娘とされている。

土田氏はもともと南近江守護六角氏の家臣として仕えていた根井氏が発祥と言われ、
文明年間(1469年~1486年)に、近江国蒲生郡から美濃国可児郡の土田村に移住し、土田姓を名乗り土豪となった。

政久の祖父 土田近江守秀定の代になると次第に頭角を現すようになり、
美濃国可児郡明智城主明智十郎頼秀に仕え明智家臣となる。

明智氏の家臣として所領を安堵された秀定は、更に勢力を拡げていき、
明応年間(1487年~1501年)に美濃土田城を築いたとされている。

戦国Check✓

土田 政久(どた まさひさ)
戦国時代の武将。官位は下総守。生駒親重と同一人物とも言われている。
美濃国可児郡土田(どた)の豪族とも、尾張国海東郡土田(つちだ)の豪族とも言われる。
織田信長の生母 土田御前の父。

六角氏(ろっかくし)
家系は宇多源氏佐々木氏の流れを汲み、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江南部を中心に栄えた。
近江源氏と呼ばれた佐々木氏の四家に分かれた家のうちの1つで、鎌倉時代より守護として南近江一帯を支配していた。
また足利将軍家の管領代となり、近江蒲生郡観音寺城を本拠として近江一帯に一大勢力を築き上げ、
伊賀や伊勢の一部までにも影響力をおよぼしたとされる。

美濃明智城(みのあけちじょう)
美濃国可児郡明智庄(現在の岐阜県可児市瀬田長山)にあった城。

美濃土田城(みのどたじょう)
美濃国可児郡土田(現在の岐阜県可児市土田)にあった城。



養子
土田近江守秀定の後継として家督を継承した治郎左衛門秀久は、
父と同様に明智家に仕え、以前から親交のあった尾張小折郡の土豪生駒左京進家広の娘を正室に迎える。
秀久は長男源左衛門泰久、次男甚助政久と子宝に恵まれるが、次第に両家は対立するようになり、
その事が原因で家広の娘は離縁され生駒家に返されている。

秀久に離縁さえ実家に戻された娘は、秀久の子を身籠っていてその時誕生したのが政久であり、
初代土田生駒家当主生駒甚助親重と同一人物であるという諸説もある。
また他説では、土田政久の子甚助親重を、尾張生駒家第二代当主であった生駒加賀守豊政が養子に迎え入れ、土田生駒家として分家させたという説もある。

因みに豊政の実子である生駒八右衛門家宗尾張生駒家の家督を継承している。

なぜ土田家の家督は、源左衛門泰久の子である弥平次が継承せず甚助政久が継承したのか

なぜ政久は後継者である甚助親重尾張生駒家へ養子に出したのか

なぜ生駒豊政は甚助親重を養子として迎え入れ土田生駒家として分家させたのか

正確なところは不明である。

戦国Check✓

生駒 家広(いこま いえひろ)
戦国時代の武将。尾張小折城主。尾張生駒宗家初代当主。
生駒氏は藤原忠仁の子孫で、大和国を本貫としていたが、応仁の乱の戦禍を逃れるため、家広は尾張国小折に移住する。
岩倉街道などが通る交通の要所であったことから家広は馬借として財を成し、
織田氏と関わりで勢力を拡大するようになった。
最大時には飛騨から東三河にまで商圏を拡大していた。

土田+生駒




美濃明智城落城時、尾張犬山城主織田十郎左衛門信清の援軍を待てず、
単騎にて明智兵庫頭光安勢に合流し奮戦した土田甚助とは、甚助政久の子である土田甚助親重を指し、
その後、生駒豊政の養子に入り生駒甚助親重と名を改めている。

親重と共に奮戦した土田弥平次は、土田源左衛門泰久の子とされ、土田家嫡流であったが、
明智城での戦いで討死し、甚助政久の次男源太夫も主家である明智家と共に明智城で討ち死にしている。

なぜ美濃土田家の男子が悉く討ち死にしている中で後継者である甚助親重
尾張生駒家へ養子に出されたのか・・・謎である。

戦国Check✓

尾張犬山城(おわりいぬやまじょう)
尾張国丹羽郡犬山(現在の愛知県犬山市字犬山)にあった城。

織田 信清(おだ のぶきよ)
戦国時代の武将。通称は十郎左衛門、下野守。号は鉄斎。尾張犬山城主。
父信康が織田伊勢守家当主 織田信安の後見人となっていたことから、その配下となっていたが、
織田信秀死亡後は、犬山城で独自の勢力を保ち、信長の領地を押領して疎遠となったが、
信長より妹を貰い受けると、弟の広良同様仕える身になった。
その後浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援するが、
国外に追い出した織田信賢の旧領地の分与を巡って信長といさかいを起こし、信長と敵対する。

明智 光安(あけち みつやす)
戦国時代の武将。通称は弥次郎。官位は兵庫頭。明智光継の次男。明智光秀の叔父。
美濃国明智城主の家督を継いでいた兄光綱が若くして亡くなると、その子光秀がまだ幼かったため、
隠居していた父光継に光秀の後見を命じられ、後に光秀が元服した後も明智家の家政を担った。
一説には光秀が家督を固辞したとも言う。


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