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ハイセンスな命名

 【01//2014】

ハイセンスな命名

弘治三年(1557年)、に誕生した織田上総介信長の嫡男奇妙丸
なんともすごい幼名である。

信長のハイセンスには家臣もついていけなかったのではないだろうか?
少年時代には、信長のハイファッションに家臣一同が「うつけ」と評しており、太田又助牛一(おおたまたすけぎゅういち)も著書信長公記で、信長のうつけ振りを紹介している。

「牛一」って名前もすごいと思うが・・・・・・


太田 牛一(おおた ぎゅういち / うしかず)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。和泉守。通称は又助(またすけ)
牛一が実名か号かは諸説あり、実名を資房、信定とする説もある。
牛一の読みは、ぎゅういちとされるが、晩年、うしかずと改めたとの説がある。
また、織田信長の右筆であったとする説はよく見られるが実際は誤りである。
文才に優れ、信長・秀吉・秀次・秀頼・家康の軍記などを著述したが、信長の一代記である信長公記が特に有名。

うつけ
もともと、からっぽという意味であり、転じてぼんやりとした人物や暗愚な人物、常識にはずれた人物をさす。
うつけ者ともいう。字は「空」「虚」「躻」などと書く。
実際に暗愚な人物がうつけと呼ばれるというよりも、奇矯なふるまいなどにより「うつけ」と呼ばれるだけで、
実際には暗愚なわけではない場合も多い。



その「うつけ」の信長が、こともあろうに織田弾正忠家嫡男であるわが子の幼名に、
奇妙丸という名前を付けている。

信長には生まれてきたわが子のが奇妙に思えたのかも知れない。

平手中務丞政秀(ひらてなかつかさのじょうまさひで)が死んでいないとはいえ、織田家中には柴田権六郎勝家(しばたごんろくろうかついえ)林佐渡守秀貞(はやしさどのかみひでさだ)など、まだまだうるさそうなのが沢山いる中で何も言われなかったのであろうか。

また生母である生駒吉乃は、「奇妙丸」というハイセンスな名前に何とも思わなかったのであろうか。

よく時代劇などで出産を終えた妻の枕元で、命名○○と書いた紙をみせ、「良きお名前です」なんてやり取りのあと、わが子の将来の話をするシーンがあるが、命名「奇妙丸」とかかれた紙を見せられた吉乃はどう思ったのだろうか。

しかし信長のハイセンスな命名の餌食になったのは奇妙丸だけではなかった。
次男である信雄は「茶筅丸」(ちゃせんまる)
三男・信孝は「三七丸」(さんしちまる)
四男・秀勝は「於次丸」(おつぎまる)
五男・勝長は「坊丸」(ぼうまる)
六男・信秀は「大洞」(おおぼら)
七男・信高は「小洞」(こぼら)
八男・信吉は「酌」(しゃく)
九男・信貞は「人」
十男・信良は「良好」
十一男・長次は「緑」




六男の「大洞」あたりから信長のハイセンスな命名は極みに達する。
八男の「酌」なんて生母がお鍋の方であった為、「鍋」には「酌」みたいな感じでつけられた幼名と思われる。
九男の「人」や十男の「良好」なんてどう考えれば人の名前として思い浮かぶのかよく理解できない。
「人」なんて何だか悲しすぎる名前である。
「良好」も良く似た感じである。
「生まれてきた状態が良かったから」としか考えられない。

当時の元服が十四・十五歳であったとすれば、それまでは「人様」とか「酌様」・「良好様」と呼ばれていた事になる。
耐え難い屈辱である。
天下に覇を唱えた「魔王信長」の実子であった為、誰も何も言わなかった(何も言えなかった)のかも知れないが、
信長の子でなければ、いい笑いの種になっていたことは明白である。



尚、余談ではあるが、フィギュアスケート選手である織田信成は、七男である信高系の旗本織田家の末裔で、
信長から数えて十七代目の子孫とされている。
(ただし、途中で次男信雄系からの養子が入っているため、血筋の上では信高の直系ではなく信雄の子孫となる)。


織田 信高(おだ のぶたか)
安土桃山時代の武将。織田信長の七男。
母は高畑源十郎の娘・お鍋の方(興雲院)とされるが、異説もある。
官位は従五位下左衛門佐。幼名は小洞(こぼら/ごぼう)、通称は藤十郎。

織田 信成(おだ のぶなり)
日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。
2010年バンクーバーオリンピック7位。2006年四大陸選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝。
織田信長から数えて17代目の末裔にあたるとされるが、その系譜の信憑性を疑問視する声もある。


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第二章 弘治記
1555年から1557年までの3年間を指すこの時期に、戦国乱世を太平の世へ導いた三英傑が歴史の表舞台に登場する。
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