織田伊勢守家の内紛尾張下四郡の支配を固めつつあった
織田上総介信長は、
いよいよ
尾張統一に向け尾張上四郡を支配していた
織田伊勢守家の攻略に動き出す。
戦国Check✓尾張上四郡(おわりかみよんぐん)尾張国春日井郡、丹羽郡、葉栗郡、中嶋郡に及ぶ範囲。
尾張下四郡(おわりしもよんぐん)尾張国海東郡、海西郡、愛知郡、知多郡(現在の愛知県名古屋市から知多半島)に及ぶ範囲。
叛旗織田伊勢守家当主である
織田伊勢守信安は、
織田弾正忠信秀の妹
秋悦院を妻として迎えており、織田弾正忠家とは縁戚関係にあった。
しかし、
弘治二年(1556年)四月長良川の戦いで
斎藤山城守道三が嫡子
新九朗義龍に討たれると、
信安は義龍と呼応し信長と敵対するようになる。
また信安は、弾正忠家の家督問題にも関与しており、
織田勘十郎信行と共謀して
信長廃嫡行動を起こすなどの動きも見せていた。
戦国Check✓織田 信秀(おだ のぶひで)戦国時代の武将。通称は三郎。官位は従五位下、弾正忠、備後守、三河守。
織田弾正忠家第三代当主。織田信長の父。
智勇に優れた武将であり、その豪勇は「尾張の虎」と称されて恐れられた。
また当時の経済流通拠点であった商業都市津島や熱田を支配下に組み込み、織田弾正忠家の礎を築いた。
長良川の戦い(ながらがわのたたかい)弘治二年(1556年)四月、斎藤道三とその嫡男斎藤義龍との間で美濃国(岐阜県)の長良川にて行われた合戦。
織田 信行(おだ のぶゆき)戦国時代の武将。通称は勘重郎、勘十郎。官位は弾正忠、武蔵守。
織田信秀の三男。織田信長の同母弟。尾張末森城主。
林秀貞、柴田勝家らに担がれて兄信長と戦うが大敗し降伏する。
弘治三年十一月二日、信長に清洲城に誘い出され謀殺される。
家督騒動永禄元年(1558年)織田伊勢守信安は、嫡男
左兵衛信賢によって
国外へ追放されている。
信安には、嫡男
左兵衛信賢と次男
信家の二人の子息がいたが、信安が次男信家を溺愛するあまり信賢を
廃嫡にし、信家を後継者にと考えるようになり、織田伊勢守家は二派に別れ
相続の争いが行われるようになった。
御家安泰を求める家臣達と争いを避けるべく道を模索した信賢は、美濃国の斎藤義龍に後ろ楯を頼み、
自らが後継者として名乗りを挙げ、父信安と弟信家を
国外へ追放するのである。
この
織田伊勢守家の内紛を信長はただ傍観していた訳ではない。
伊勢守家の相続争いを裏で操っていたのは信長であった。
織田伊勢守家攻略に動き出していた信長は、
生駒八右衛門家長を織田伊勢守家重臣
稲田修理亮植元、
前野右京進宗康、
福田大膳正に接触させ、
信安引退をほのめかすなどの
調略をめぐらしている。
また信賢との戦いに備え、一時敵対関係にあった尾張犬山城主
織田下野守信清に、
自分の姉である
犬山殿を嫁がせ協調体制をとるなど、着々と
織田伊勢守家攻略の包囲網を形成させていく。
戦国Check✓生駒 家長(いこま いえなが)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は八右衛門。尾張小折城主。尾張生駒家第四代当主。
灰(染料用)と油を扱い、馬借としての商いで財を蓄えた武家商人。
はじめ犬山城主 織田信清の配下であったが、妹の吉乃(類)が織田信長に見初められ側室に迎えられ、
縁戚関係を結んだため、父ともに信長の家臣となり馬廻りとして仕えた。
稲田 植元(いなだ たねもと)戦国時代から江戸時代初期の武将。幼名は亀之助。通称は左馬亮。洲本城代稲田家初代当主。
尾張国岩倉城主織田信安の家臣、稲田大炊助貞祐の三男として誕生。
蜂須賀小六に従い、阿波蜂須賀藩筆頭一番家老となり阿波脇城番を勤める。
江戸所代になると徳川幕府の命により淡路洲本城代となり、稲田家は明治維新まで代々洲本城代を勤めた。
前野 宗康(まえの むねやす)坪内 勝定(つぼうち かつさだ)戦国時代の武将。通称は小次郎、右京進。
前野宗康と坪内勝定は同一人物ではないかと言われている。
小坂雄吉・前野長康・前野勝長の父。
坪内文書によると、信長より六百八十七貫文の地を安堵され、さらに三百貫文の地を宛行われたと記されている。
尾張犬山城(おわりいぬやまじょう)尾張国丹羽郡犬山(現在の愛知県犬山市字犬山)にあった城。
織田 信清(おだ のぶきよ)戦国時代の武将。通称は十郎左衛門、下野守。号は鉄斎。尾張犬山城主。
父信康が織田伊勢守家当主 織田信安の後見人となっていたことから、その配下となっていたが、
織田信秀死亡後は、犬山城で独自の勢力を保ち、信長の領地を押領して疎遠となったが、
信長より妹を貰い受けると、弟の広良同様仕える身になった。
その後浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援するが、
国外に追い出した織田信賢の旧領地の分与を巡って信長といさかいを起こし、信長と敵対する。
誼尾張を追放された
織田伊勢守信安は美濃国武藝郡白金の郷へ逃れ、斎藤義龍の家臣となり、
義龍の死後もその子
刑部大輔龍興に仕え信長に抵抗するが、後年同族の誼から信長に罪を許され、
美濃白金に所領を与えられている。
また共に亡命した信安の次男信家は信長の嫡男
勘九郎信忠の家臣となっている。
次回 第百八話 浮野合戦の事CATEGORY/カテゴリ織田信長と戦国武将 トップページ
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