2017 05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. »  2017 07

スポンサーサイト

 【--//--】

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

Comments (-)Trackbacks (-) | トップへ戻る

松平元康の初陣

 【13//2012】

松平元康の初陣


永禄元年(1558年)二月
今川治部大輔義元は、三河広瀬城主三宅右衛門尉高清(みやけうえもんのじょうたかきよ)と結び、
織田方に寝返った三河寺部城主鈴木日向守重辰(すずきひゅうがのかみしげたつ)の討伐を松平蔵人佐元康に命じている。

十七歳になっていた元康にとっては、初陣となる合戦であった。
通常初陣とは、子供の将来の安寧(あんねい)を願い必ず勝てる戦いを選び、儀式として参加させる傾向があったが、
人質として扱われていた元康にとっては儀式として参加させる合戦などは用意されていなかった。
元康は総大将として、今まで今川家の捨て石的な扱いを受けていた三河衆を率いて戦う事になる。
しかし、元康初陣の報せを聞いた三河衆は大いに喜んだという。

永禄元年(1558年)二月五日
鈴木重辰討伐の総大将を任された元康は、岡崎に戻り岡崎衆を率いて出陣する。

東照宮御実紀によると、
「この軍中にて君古老の諸將をめされ御指揮ありしは、敵この一城にかぎるべからず。所々の敵城よりもし後詰せばゆゝしき大事なるべし。先枝葉を伐取て後本根を斷べしとて城下を放火し引とり給ふ。」とある。

元康は、譜代の家臣を集め軍議を開き、
「敵はこの一城というわけではない。周りの敵城よりもし後詰めでもあれば、大変な状態となる。まずは枝葉を討ち払ってから本根を断つべきである」といい、譜代の諸将を驚かせたという。
若干十七歳にして、しかも初陣という気持ちが浮つく状態でのこの采配に、譜代の諸将達は皆、
亡き英雄松平二郎三郎清康の面影を見たのである。
また清康、広忠の二代に仕え、竹千代(元康)が人質として駿府に送られた際には、行動を共にしていた
酒井雅樂助正親(さかいうたのすけまさちか)や、主君不在の岡崎に残り鳥居伊賀守忠吉(とりいいがのかみただよし)と共に西三河における政務を取仕切っていた石川安芸守清兼(いしかわあきのかみきよかね)などの譜代の重臣は、主君元康の立派に成長した姿に涙を流し感嘆(かんたん)したという。


徳川実紀(とくがわじっき)
19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録。国史大系に収録されている。
正確には、歴代将軍の諡号を冠して、それぞれの将軍に関する記録を「東照宮御実紀」「台徳院殿御実紀」と称する。
徳川家康から10代将軍徳川家治(天明期、1786年)までの事象を日ごとに記述している。
それぞれの記録は、歴代将軍在任時の出来事を日付順にまとめた本編と、その将軍にまつわる逸話を集めた附録からなっている。
文化6年(1809年)に起稿、嘉永2年(1849年)12代徳川家慶に献じられた。

松平 清康(まつだいら きよやす)
三河松平氏の第7代当主。徳川家康の祖父。三河国安祥城城主および岡崎城主。
安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。

酒井 正親(さかい まさちか)
松平氏(徳川氏)の家臣で、松平清康・広忠・徳川家康の3代に仕えた。
家康が人質として駿府に送られた際には、行動を共にし、家康の初陣に付き従い、その働きを感嘆している。
三河西尾城主。

鳥居 忠吉(とりい ただよし)
松平氏(徳川氏)の家臣で、松平清康・広忠・徳川家康の3代に仕えた。
貧しさに苦しもうとも、いざ合戦となると、命を惜しまぬ戦いぶりを見せつけた「三河武士」その忠誠心は、家康を想う忠吉によって植えつけられたと言われている。

石川 清兼(いしかわ きよかね)
松平氏(徳川氏)の家臣で、松平清康・広忠・徳川家康の3代に仕えた。
三河国碧海郡小川に拠った石川氏の一族の惣領。
1543年(天文12年)家康誕生の際には「蟇目の役」を務めたとされる。


この寺部合戦は、同年四月末まで続く長期戦となった。
広瀬城の三宅高清勢が、鈴木重辰勢に加勢したのに対し、元康勢には上野城の酒井将監忠尚(さかいしょうげんただなお)の勢力が加勢するなどし、大規模な合戦へと変化していく。
この合戦で、元康の大将としての器に魅せられた松平衆の奮戦は凄まじく、梅ヶ坪城、挙母城、伊保城と次々に周囲の城を攻め落としていく事になる。
最終的に寺部城を包囲した元康は、寺部城の外曲輪を押し破り、一気に城内になだれ込み、
鈴木重辰の討伐を成功させている。
他に類を見ない華々しい初陣であった。
元康の類い稀な采配に、家臣一同が「正に清康公の再来」と涙を流して喜んだという。



CATEGORY/カテゴリ
戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
戦国城下町
戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。
第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
織田信長が天下布武を掲げ、覇道の道を進む事になる。
スポンサーサイト

Category: 永禄記

Theme: 歴史

Genre: 学問・文化・芸術

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

Commentform


URL:




Comment:

Password:

Secret:

管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。