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斯波武衛家の最後

 【07//2012】

斯波武衛家の最後


尾張下四郡を支配し、弟である勘十郎信行を謀反の罪で謀殺した、織田上総介信長は尾張国での勢力を
着実に拡大させつつあった。

それを快く思わない人物がいた。
尾張守護斯波武衛家十五代当主斯波治部大輔義銀(しばじぶだゆうよしかね)である。
義銀は、斯波氏の権勢を取り戻そうと、三河国の吉良義昭と結んで信長の追放を画策するようになる。


吉良 義昭(きら よしあき)
戦国時代の武将。三河西条吉良氏当主。西条城を有した吉良義堯の三男。
今川氏真(うじざね)により次兄吉良義安にかわって東条城主となる。
永禄4年、松平元康(徳川家康)とたたかい降伏している。
永禄6年、三河一向一揆の主将に推されふたたび家康とたたかい、摂津芥川で戦死し、西条吉良氏はたえた。


信長の庇護を受け、斯波武衛家の当主となった義銀は、信長の画策により、
三河吉良氏と守護同士の盟約を結ぶなど、義銀は信長の傀儡(かいらい)として利用され続けていた。
しかし義銀自身は、吉良義昭との盟約に「守護」としての自分の立場を強く意識し始めていた。
その義銀の心の隙間を巧みに揺さぶっていたのが、駿河・遠江の太守今川治部大輔義元であった。


斯波氏(しばし)
本姓は源氏。家系は清和天皇の血をひく清和源氏の一つ、河内源氏の棟梁鎮守府将軍源義家の子、
義国を祖とする足利氏の有力一門
室町時代に幕府の三管領筆頭となった一族であり、越前・若狭・越中・山城・能登・遠江・信濃・尾張・加賀・安房
佐渡などを領した守護大名・戦国大名。
また一門は、奥州探題・羽州探題を代々歴任し、一時は九州探題・関東管領にも任じられていた。

武衛家(ぶえいけ)
斯波氏の嫡流、すなわち室町幕府の管領をつとめた家柄をいう。
武衛とは兵衛府の唐名で、斯波氏当主が代々左兵衛督や、左兵衛佐に任ぜられたことに由来する。

守護(しゅご)
日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。
令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河上皇が鎌倉殿へ守護・地頭の設置を認めたことによって、
幕府の職制に組み込まれていった。
将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。
鎌倉時代は守護人奉行(しゅごにんぶぎょう)といい、室町時代には守護職(しゅごしき)といった。


義元の命を受けた服部左京助友定(はっとりさきょうのすけともさだ)は、
「尾張守護とは言え、所詮形だけのものであり、いずれ尾張国は信長に乗っ取られる事に違いない。
そうなる前に、同じ足利氏一門として今川家が、義銀様を名実共に相応しい尾張守護の地位にお就けいたします。」

「守護」として自問自答する義銀に近づき、友定は謀反をほのめかすのである。
義銀の心は大きく揺らぎ苦しんだ事は言うまでもなかった。


服部友定(はっとり ともさだ)
尾張国荷ノ上の土豪・服部党当主。
今川義元に与すなど、織田信長に対し抵抗した。


信長公記によれば、
吉良・石橋・武衛三人御国追出しの事
「尾張国端海手へ付いて石橋殿御座所あり。河内の服部左京助、駿河衆を海上より引入れ、吉良・石橋・武衛様仰談らはれ、御謀叛半の刻、家臣の内より漏れ聞え、即御両三人御国追出し申され候なり。」とある。

悩み苦しんだ末、義銀は斯波氏一門の石橋氏、吉良氏、今川氏、服部氏と通じ、今川の軍勢を海上から尾張国へ引き入れようとしたのである。
しかし、この密議は信長の知るところとなり、義銀は尾張を追放され、守護大名としての斯波武衛家は滅びることになる。

斯波義銀の補佐役としての「大義名分」の下、尾張国内での反対勢力を一掃し、残すは、尾張上四郡を支配していた織田伊勢守家ただ一つとなっていた信長にとって、「守護」としての自我が芽生えだした義銀は邪魔な存在でしかなかったのではないだろうか。

戦国大名として名乗りを挙げた信長にとって、「守護」とは旧勢力との外交に使う名ばかりの権威としてしか見ていなかったのである。
信長にとっては「守護」の補佐役としての「大義名分」が、尾張国の支配を進める上で必要であっただけで、
「守護職」などという旧体制の役職などは、最初から必要なかった。

結局、「守護」を意識しすぎた義銀は、信長に対し謀反を企てたとされ、追放されてしまう。
これは明らかに信長の謀略であると思われるが、力を持たない名ばかりの守護であった義銀にはどうする事も出来なかった。


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戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
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第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
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