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今川義元の感状

 【14//2012】

今川義元の感状

永禄元年(1558年)四月
今川治部大輔義元が、松平蔵人佐元康の家臣足立右馬助に感状を与えている。
元康の初陣となった三河寺部城合戦で討死した、右馬助の弟足立甚尉の忠節を称えたものであった。

この寺部城合戦は、二年後に起こる桶狭間の合戦の前哨戦の一つともいえる合戦とされているが、
これまで「織田方に寝返った寺部城主鈴木日向守重辰を、義元の命により元康が攻め、見事初陣を飾った。」とした経緯が記されている程度の資料しかなく、その詳細を伝える文書はほとんど残されていなかった。
この感状の発見は、当時を知る上でとても貴重な発見であった事は言うまでもない。


平成十九年(2007年)五月十五日
様々なお宝を専門家が鑑定し、値段付けを行う人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で、
「桶狭間の戦いの新事実が茨城で発見された」として紹介されている。
歴史的に貴重な発見であるとして、鑑定額はなんと700万円もの高額が付いたお宝である。
ちなみにこの感状は、水戸徳川家にゆかりのある豪商から譲られた多くの骨董品の中に入っていたという。
その豪商から譲られた多くの骨董品の中には、他にはどんなお宝が眠っているのかも興味があるところだ。


「開運!なんでも鑑定団」(かいうん!なんでもかんていだん)
1994年4月19日からテレビ東京系列で毎週火曜日20:54 - 21:54(JST)に放送されている鑑定バラエティ番組。
字幕放送(一部地域のみ。テレビ東京などは再放送でも実施)。
通称は「鑑定団」「なんでも鑑定団」。
過去に当番組は、民放連賞優秀賞受賞、橋田寿賀子賞受賞している。




去廿四日寺部へ相動之刻、広瀬人数為寺部合力馳合之處岡崎并上野人数及一戦砌、弟甚尉最前ニ入鑓、
粉骨無比類之處、當鐡炮令討死、因茲各重合鑓、遂粉骨之間、即敵令敗北之条、甚以忠節之至也、彼者事者、
去辰年上野属味方刻、勝正同前ニ従岡崎上野城ヘ相退砌も、既盡粉骨之上、彼城赦免之儀相調之間、
彼比以忠功令感悦者也、仍如件、
永禄元年
四月廿六日義元
足立右馬助殿

この感状で最も注目されることは、寺部城合戦について記されていることである。
四月二十六日付けの本文書では、足立甚尉が討死したことを去二十四日とし、即敵令敗北と記している。
このことから寺部城合戦は、四月末に元康勢の勝利で決着した事が判明する。
また広瀬人数為寺部合力馳合之處から、
広瀬人数(広瀬城主三宅高清勢)が、鈴木重辰方に加勢したのに対し、
元康側には岡崎并上野人数及一戦砌から、
岡崎衆の他に上野人数(上野城主酒井忠尚勢)が、加勢した事が確認できる。

すごい事である
書状一枚でこの当時の合戦背景がうっすらと浮かび上がってきた。
私たちが今、伝え聞いている歴史の見えない部分が時代を重ねると逆に見えてくるのである。
不思議といえば不思議な事かも知れない。
しかしそこに、歴史の面白さがあるのかも知れない。



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Category: 永禄記

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Genre: 学問・文化・芸術

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