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美濃の暗殺者

 【21//2012】

美濃の暗殺者

永禄二年(1559年)二月
織田上総介信長は、時の将軍足利義輝に拝謁する為に上京している。
このとき美濃の斎藤治部大輔義龍(さいとうじぶだゆうよしたつ)から、信長を暗殺するべく刺客が放たれたようであるが、那古屋弥五郎配下の丹羽兵蔵の機転により信長はその難を逃れている。


那古屋 弥五郎(なごや やごろう)
尾張国那古屋荘の豪族。那古屋弥五郎勝泰。
尾張守護・斯波義統または織田信友の家臣。
三百人扶持の大身であり、梁田弥次右衛門とともに織田信長に仕えた。


信長公記によると、
清洲の那古野弥五郎の家中に、丹羽兵蔵という機転のきく者がいた。
信長の後を追って上洛する途中、近江志那(おうみしな)の渡し舟でただならぬ様子の人物5.6人に率いられた30人ばかりの集団に、兵蔵は遭遇している。
その集団の頭目らしき男に「どこに住んでいる者だ」とたずねられた兵蔵は、
「三河国だ。尾張国を通ろうとしたが、今川に仕えている身であるから気を使いながら通ってきたのだ」と答えた。
いかにも人目を忍ぶ様子になにやら怪しいものを感じた兵蔵は、
「あなた方は何処へ行かれるのか」と訊ねてみた。すると、
「美濃国斎藤治部大輔義龍様からの大事な用事」とだけ答え、彼らは黙り込んでしまった。
不審に思った兵蔵は、後をつけ彼らが泊まる宿の傍らに宿を取った。

「義龍の大事な用事」がどうにも気になる兵蔵は、機転の利く子供を手なずけ、それとなく彼らの目的を調べさせた。
「おじさん達は、湯につかりに来たのか」と何気に話しかける子供に対し、相手が子供と言う事に気を許したのか一人の男が「我らは湯につかりに着たのではないぞ。美濃国の斎藤義龍様から大事な用事を受けてきたのだ。
我らは上総介の討ち手に選ばれたのだ。」と誇らしげに答えた。
この者達は、信長を暗殺すべく義龍によって送られた
小池吉内、平美作、近松田面、宮川八右衛門、野木次左衛門ら美濃衆であった。

「美濃刺客」である事を知った兵蔵は、その後も彼らと行動を共にした。
京に入った小池吉内らは、二条蛸薬師のあたりに宿を取った。
兵蔵は、その宿の門柱を削り目印をつけ、信長が泊まる上京室町通り裏辻の宿所へと急ぎ向かった。
「尾張より使いとして参った。火急の用事の為取り急ぎ金森殿か蜂屋殿にお取次ぎ願いたい。」
兵蔵はこれまでの経緯を詳細に説明し、京での宿を突き止めてきた旨を金森五郎八長近(かなもりごろはちながちか)
蜂屋頼隆(はちやよりたか)両人に伝えた。


金森 長近(かなもり ながちか)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
織田氏、豊臣氏、徳川氏の家臣。
名ははじめ可近(ありちか)、後に織田信長から一字を賜り、長近を名乗った。
通称は五郎八。法印素玄。飛騨守、兵部大輔。飛騨高山藩初代藩主。
金森氏は、美濃源氏土岐氏の支流と称する。
応仁の乱にて西軍として活躍した美濃守護土岐成頼の次男大畑定頼の次男・定近が一族を連れて美濃を離れて寺内町として著名な近江国野洲郡金森に居住し、「金森采女」を称した事に始まるとされている。

蜂屋 頼隆(はちや よりたか)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
美濃国加茂郡蜂屋に生まれ、はじめ土岐氏、次いで斎藤氏に仕えた。
斎藤道三が孫四郎(龍元、龍重)、喜平次(龍之、龍定)へ家督を譲ることを考えると、美濃蜂屋氏の一族は道三と共に斎藤義龍に反旗を翻す計画を立てたが、加治田衆を直ちに引き連れた佐藤忠能により鎮圧された。
その後、蜂屋一族は美濃国を去ったと言われている。


翌朝、金森長近は兵蔵を伴って小池吉内らのいる二条蛸薬師の宿に赴いた。
吉内ら美濃衆は、長近と面識のある者達であった。
長近は一行に対面すると「夕べ貴殿方御上洛のこと、あるじ上総介も存じてござるによって、このように挨拶にまかり越した次第でござる。ついては貴殿方も上総介へ返礼し候え」と申し述べた。
「上総介存知」と聞き、一行は仰天した。

翌日、吉内ら美濃衆は小川表の管領屋敷に参上し信長と対面している。
対面の席で信長は、
「汝らは上総介の討手に上りたるとな。若輩の分限で我を狙うとはこれ蟷螂の斧と申すものよ。
出来るものか。それともここで試して見るか」と大音声で問いただした。
信長のあまりの迫力に吉内ら美濃衆は言葉に窮して、ただ俯くばかりだったと言う。

数日後、信長は京を後にし、近江から八風峠を越えて尾張に帰った。


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戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
戦国城下町
戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。
第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
織田信長が天下布武を掲げ、覇道の道を進む事になる。
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