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元康から家康への改名の由来

 【04//2012】

元康から家康への改名の由来

三河国を統一し、三河国の支配者となるためには、三河守の官職松平蔵人佐元康にとって
とても必要な官位であった。
しかし、従来三河守受領の為に必要とされる位階は、従五位下と定められており、
位階は無く、官位も蔵人佐(くらんどのすけ)という低い身分であった元康に与えられるような官位ではなかった。
また当時の慣例では、従五位下の位階を与えられる姓の系統は限られていた。
それなりの家系が必要であると考えた元康は、清和源氏系得川氏の末裔を称し、
「元康」から「家康」へと改名することになる。

位階(いかい)
官吏における個人の地位を表す序列・等級。
また、国家に対して勲功・功績のあった者に授与される栄典の一つ。
位(くらい)ともいう。
位階を授与することを「位階に叙する」または叙位(じょい)という。

官位(かんい)
人が就く官職と、人の貴賤を表す序列である位階の総称。
官職と位階との相当関係を定めたものを官位相当といい、各官職には相当する位階(品階)に叙位している者を任官する制度を官位制(官位制度、官位相当制)という。

清和源氏系を称してはいたが非常に怪しいものであった。
元々松平元康のルーツは、三河国の在地領主であった松平氏に婿養子に入った時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥という人物から始まる。
徳阿弥は清和源氏系得川氏の末裔であったが、浪人となり時宗の遊行僧として諸国を巡る事となる。
武家の棟梁として名を馳せた源八幡太郎義家の孫に、新田氏の始祖である新田太郎義重という人物がいた。
この義重に、得川氏および世良田氏の始祖である得川四郎義季とうい息子がいた。
のちに元康によって、松平氏の遠祖とみなされた得川氏である。

時宗(じしゅう)
鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派。開祖は一遍。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。
阿弥陀仏への信仰を重視し、念仏を唱えれば唱えるほど極楽浄土への往生も可能になると説いた浄土宗に対し、阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いた。

遊行(ゆぎょう)
僧が布教や修行のために各地を巡り歩くこと。空海、行基、空也、一遍などがその典型的な例。

源 義家(みなもと の よしいえ)
平安時代後期の武将。伊予守源頼義の嫡男。八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。
後に武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府の足利尊氏などの祖先に当たること等から後世に英雄視され、様々な逸話が生み出される。

なぜ得川氏の末裔であった徳阿弥が、松平氏の始祖となったのか。
南北朝の争乱期に、新田義貞が足利尊氏に敗れ、尊氏による新田一族の討伐が行われた。
その際、義季から数えて八代目となる得川左京亮有親は難を逃れるため、
得川の姓を捨て、徳阿弥と名を変えて諸国を遊行する事になる。
遊行の末、三河国松平郷に流れ着いた徳阿弥は、和歌に通じた教養と武勇を評価され、松平郷の領主であった
松平太郎左衛門信重に婿養子として迎えられ、還俗して松平次郎三郎親氏と名乗ったという。

源氏である証拠
家康改名には逸話が残されている。
当時、尾張国の安照院光明寺に青井意足という僧侶がいた。
青井意足は八幡太郎義家の軍法を後世に伝える名僧として知られていた。
この軍法を継ぐ者は名前に「義」「家」を継ぐ事になっており、出自が源氏系統の者である必要性があった。
そこに目を付けた元康は、清和源氏系得川氏の末裔と称し安照院光明寺を訪れた。
元康は数日間光明寺に滞在し、青井意足から八幡太郎義家の軍法を授かったという。
元康は、「元」「家」に変え、「家康」を名乗るようになる。
源氏の象徴とも言える、あの八幡太郎義家の「家」を手に入れる事に成功したのである。
元康からすれば八幡太郎義家の軍法よりも、
八幡太郎義家の「家」を手に入れた事のほうが遥かに大きな意味を持っていた。
「康」については以前述べた様に、稀代の英雄として高く評価されていた、
祖父・松平二郎三郎清康からとったものと言われており、勇将となるべく決意を固め付けた文字である。

清和源氏(せいわげんじ)
第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。
姓(カバネ)は朝臣。


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