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義龍急死

 【06//2012】

義龍急死


桶狭間の合戦で奇跡的な勝利を挙げた織田上総介信長の前に、またしても大きな幸運が訪れた。

永禄四年(1561年)五月十一日
強敵であった斎藤治部大輔義龍が急死したのである。
享年三十五歳という若さであったという。
あとを継いだのは嫡男右兵衛大夫龍興で、斎藤家を統率するにはまだあどけなさが残る若干十四歳であった。
義龍の急死を好機とみた信長は、
永禄四年(1561年)五月十三日
長良川を越え、西美濃へ侵攻。

森部の地で龍興軍と激突し、斎藤家譜代家臣長井甲斐守衛安日比野清実らを討ち取る事に成功している。
また、この戦いで前田又左衞門利家が、「首取り足立」と呼ばれた猛将足立六兵衛を討ち取る戦功を挙げ、
帰参を許されている。
桶狭間の合戦では三つの首を取りながら、帰参を許されなかっただけに利家は大いに喜んだという。
森部合戦で勝利した信長は、洲の俣(墨俣)の地に砦を築き、美濃侵出への橋頭堡(きょうとうほ)を獲得する。
しかし、

永禄四年(1561年)五月二十三日
反撃にでた斎藤軍は、大軍を率い洲の俣の北東に位置する十四条に布陣。
迎え撃つ織田軍も洲の俣を出陣し、両軍は十四条にて激突する。
この十四条の戦いにて、犬山城主織田十郎左衛門信清の弟勘解由左衛門信益が討たれるなど、
織田軍は苦戦する事になる。
双方陣営を移し、睨み合いが続いたが斎藤軍は夜中のうちに稲葉山へ撤退してしまう。
翌日、織田軍も洲の俣へ撤退。
信長は、洲の俣の地で砦を維持することは困難であると考え、砦を放棄し、全軍に清洲撤退を命じている。


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戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
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