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犬山両家老の内通

 【10//2012】

犬山両家老の内通


小牧山への移城を果たした織田上総介信長は、於久地城への調略を開始する。
尾張犬山城主織田下野守信清には、最も頼りとなる二人の家老がいた。
尾張於久地城主中島豊後守
尾張黒田城主和田新介定利
信長は、中島豊後守、和田新介に調略の手をのばし、離反を誘う作戦に出るのである。

犬山城(いぬやまじょう)
愛知県犬山市に存在する平山城。別名、白帝城。国宝指定四城の一つ。
天文六年(1537年)、織田信長の叔父である織田信康によって築城された、現存する日本最古の木造天守閣
犬山城の天守は、外観三重、内部は四階、地下に踊場を含む二階が付く。
天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋二重二階の建物の上に、三間×四間の望楼部を載せた望楼型天守である。
また、日本で唯一、かつての城主成瀬家の子孫による個人所有の城としても知られている。

於久地城/小口城(おぐちじょう)
愛知県丹羽郡大口町小口に存在した平城。別名、箭筈城(やはずじょう)
長禄三年(1459年)、織田広近によって築城された。
東西約五十間(約90メートル)・南北約五十八間(約105メートル)の曲輪に、二重の堀と土塁が廻らされた形状であったとされる。
小口城は、木ノ下城や犬山城の支城として残されたが、永禄年間(1558年〜1569年)に廃城。
天正十二年(1584年)、小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉方の稲葉良通が布陣した記録がある。

黒田城(くろだじょう)
愛知県一宮市木曽川町黒田字古城に存在した平城。
初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城とされる。
天文初年に、織田伊勢守家家老山内盛豊が城代として入城。
織田伊勢守家が織田弾正忠家に敗れた後、山内家は一豊が豊臣秀吉の下で立身するまで離散することになる。
その後、織田信清の弟広良が城主となるが、軽海の戦いで戦死したため、家老の和田新助が城主となった。


信長公記によると、
「小真木山並びに、御敵城於久地と申し候て、廿町計り隔てこれあり。」
小牧山城から於久地城へは、二十町(約2.1km)ほどの距離しかなかったと記されている。
(ちょう)
尺貫法での長さ(距離)、又は面積の単位。
一町は約109.09m、1kmは約9.1町となる。
(り)
尺貫法での長さ(距離)の単位。
一里は約3.9km、36町里を標準の里とする(1里=36町)。

於久地城から犬山城までは、三里弱(約10km)あり、黒田城から犬山城までは、五里(約20km)の距離があった。
主力部隊ごと本拠地を移してきた、信長勢の真っ只中にいる中島豊後守、和田新介は、必ずや保身のためになびくと、信長は見ていた。
信長はまず、和田新介に調略の手をのばし、味方に引き入れた後、離反をよしとしない侍堅気の中島豊後守の
調略に移る手はずとした。
使者として選ばれた丹羽五郎左衛門尉長秀は、新介に形成の不利を説き、
本領黒田の庄の安堵を約束する条件で、和田新介の勧誘に成功する。
その後すぐに和田新介と共に於久地城へ出向き、中島豊後守に信長への内通を勧めた。
「もはやこれまで」
中島豊後守は降参の潮時であるとして、於久地城を信長に明け渡している。


信長公記に、
「御要害、ひたひたと出来を、見申し候て、御城下の事に候へば、拘(かか)へ難く存知、渡し進上候て、御敵城犬山へ一城に楯籠り候なり。」と記されている。
中島豊後守は、2kmほど先で行われていた小牧山の新城普請の様子を眺めながら、
孤立した状態での防備は無理であると見て、長秀と新介の勧誘にたやすく応じたのである。
これにより、織田信清の勢力は犬山一城となった。
信長は、内通に応じた中島豊後守を手厚く饗応(きょうおう)し、孫六兼元(まごろくかねもと)作の業物の太刀を与えたという。

孫六兼元(まごろくかねもと)
室町後期に美濃国で活動した刀工。
「兼元」の名は、室町時代から江戸時代を経て現代にまで続いているが、そのうち二代目を「孫六兼元」と呼ぶ。
孫六は、兼元家の屋号である。
武田信玄・豊臣秀吉・前田利政・青木一重など多くの武将が佩刀したという。

業物(わざもの)
刀、太刀など、日本刀系列の級品をさす。
分類はそれぞれ、最上大業物(さいじょうおおわざもの)大業物(おおわざもの)良業物(よきわざもの)業物(わざもの)
4段階に分けられる。

於久地城、黒田城はいずれも、攻めれば甚大な被害を覚悟しなければならない、堅固な要害であった。
二大勢力に去られた織田信清は、もはや信長の攻撃を支えるだけの戦力は残っていなかった。


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戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
戦国城下町
戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。
第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
織田信長が天下布武を掲げ、覇道の道を進む事になる。
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