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家康 人生最大の危機を迎える

 【12//2012】

家康 人生最大の危機を迎える


永禄六年(1563年)
松平蔵人佐元康が、家康と名を改めた途端、人生最大の危機を迎える事になる。

85411では総画数28画となる。
総運:自信家で頭もよく、積極果敢なチャレンジ精神と行動力があり、特に専門的な分野で成功する運をもっている。
また、困難に立ち向かう力があり、経営者や組織のリーダといった人の上に立つ職業も適している。
但し、少し強引なところがあり、周りの反感を買わないように注意することが必要。
対して
851011では総画数34画となり、
総運: 類稀な才能の持ち主ではあるが、性格的な問題から自分を上手く表現することが苦手。
内向的で大人しいことに加え、人目や評判を気にするようなところがあり、悩みを抱える日々が続くことがある。
身体的に弱い一面もあり、行動力は決して高くはない。
体力的な問題から、自分の計画を上手く実行できないこともある。
あまりいい感じではない評価だ。
まあ、家康の人生と姓名判断は何の関係も無いが、一応・・・・・

この当時、家康は「三河一向一揆」との戦いに頭を悩ませている。
まさに「悩みを抱える日々が続く」ことになる。
「忠実」として知られる三河武士団の半数近くが、家康から離反し、一向宗派の手足となって、
主君家康に牙をむいたのである。

一向一揆(いっこういっき)
戦国時代に浄土真宗(一向宗)本願寺教団の信徒たちが起こした一揆の総称。
浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによって形成された宗教的一揆。
本願寺派に属する寺院、道場を中心に、蓮如がいう「当流の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずることにある」という教義に従う士豪的武士や、自治的な惣村に集結する農民が、地域的に強固な信仰組織を
形成していた。

ことの発端は、家康が、松平広忠の代に定められた、一向宗派の三河三ヶ寺の守護不入の特権
破ったことにより、対立が始まったと言う。
「寺の物資を奪った」
「寺の境内に無許可で砦を築いた」
「寺に逃げ込んだ罪人を無許可で押し入って逮捕した」という説があるが、いずれにせよ教団の利権を侵したとして、一向宗派が蜂起するに至ったのである。


三河触頭三ヶ寺
本證寺(ほんしょうじ)
愛知県安城市野寺町にある真宗大谷派の寺院。山号は雲龍山。野寺御本坊。
上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となる。
こうした経緯から、鼓楼や土塁を備え、水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)となっている。
また、書院は親鸞が泊まった際に、天井裏まで雨漏りがしていたのに、部屋までは漏らなかったという伝承が残されており、「雨もり御殿」とも言われている。

上宮寺(じょうぐうじ)
愛知県岡崎市上佐々木町にある真宗大谷派の寺院。
三河高田派の棟梁寺院のひとつである、桑子の妙源寺に連なる有力寺院であったが、
寛正二年(1461年)、蓮如の教化によって本願寺派に転じた寺。
住持の如光法師は、三河地方の本願寺派坊主衆の中心になって蓮如を支えた一人とされる。

勝鬘寺(しょうまんじ)
愛知県岡崎市針崎町にある真宗大谷派の寺院。
正嘉二年(1258年)、三河最初の真宗道場として赤渋の地に信願房了海によって創建。
九世住持了顕の時に隆盛を極めたが、その後水害の難を避けるために現在地へ移転している。
一向一揆の拠点は、本證寺、上宮寺、勝鬘寺で、勝鬘寺には蜂谷半之亟らが立て籠もったと言われている。


蜂起した一向宗派の一揆勢の中には、のちに十六神将に数えられる、渡辺守綱や蜂屋貞次、懐刀として活躍する本多正信、家康の身代わりとなって戦死する夏目吉信など、錚々(そうそう)たる面々が加わったため、この騒動は鎮圧まで実に半年を要することになる。


徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)
徳川家康に仕えて、江戸幕府の創業に功績を立てた十六人の武将を顕彰した呼称。
江戸時代には、家康と十六神将の姿を描いた図像が東照宮信仰において好まれたという。
「16」の数字が選ばれた理由は明らかではないが、近世には筆頭の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の四名を特に「徳川四天王」と呼ぶことから、東照大権現の神号を持つ家康を仏(権現)に見立て、仏教の四天王・十二神将の数字を合計して「十六神将」とする説がある。

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戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
戦国城下町
戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。
第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
織田信長が天下布武を掲げ、覇道の道を進む事になる。
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Category: 永禄記

Theme: 歴史

Genre: 学問・文化・芸術

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