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第四次川中島の戦い

 【28//2012】

第四次川中島の戦い

北条討伐から帰還した上杉弾正少弼政虎は、
永禄四年(1561年)八月十四日
一万八千の兵を率いて川中島へ出陣し、武田軍との大決戦で、
武田左馬助信繁、山本道鬼斎勘助、室住豊後守虎定、初鹿野源五郎、三枝新十郎守直ら多くの敵将を討ち取り、総大将の武田徳栄軒信玄をも負傷させ、武田軍に大打撃を与えている。

川中島(かわなかじま)
長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名。

この頃の武田大膳大夫晴信は、長禅寺住職の岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)を導師に出家し、
武田大膳大夫晴信入道法性院徳栄軒信玄と号していた。

岐秀元伯(ぎしゅう げんぱく)
戦国時代の臨済宗妙心寺派の禅僧。
甲斐国甲府の長禅寺住持。

長禅寺(ちょうぜんじ)
山梨県甲府市にある臨済宗系の単立寺院。
東光寺、能成寺、円光院、法泉寺とともに甲府五山のひとつ。

出家(しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit))
師僧から正しい戒律を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ることである。
落飾(らくしょく)ともいう。

この第四次川中島の戦いを機に、北信をめぐる武田・上杉間の抗争は収束し、
永禄後年には武田・上杉間をはじめ、東国や畿内の外交情勢は大きく変動していく。
関東制圧を目指す政虎にとって、信越国境を固めることは急務であった。
そのため、武田家の前線基地となる海津城(かいづじょう)を攻略して、武田軍の侵攻を妨げる必要があると考えていた。
信濃に侵攻した政虎は、一万八千余の軍勢を従え、千曲川(ちくまがわ)を越え、妻女山(さいじょさん)に軍を進めた。
一方、政虎出陣の報せを受けた武田方信州衆諸将は、海津城にて上杉軍の攻撃に備えた。
海津城代を務める高坂弾正忠昌信(こうさかだんじょうのちゅうまさのぶ)は、上杉軍迎撃策を進める各諸将を抑え、
信玄本隊の到着を待つ篭城策を採った。
妻女山は展望もよく、川中島平野一帯を見渡せ、武田方の海津城の動静をうかがうには絶好の場所であった。

妻女山に布陣を構えた政虎は、脇備えに平賀志摩守山吉玄蕃頭隊を配置し、厳重な陣立てを設けた。
一番隊
直江大和守景綱(なおえやまとのかみかげつな)
新発田尾張守長敦(しばたおわりのかみながあつ)
小嶋弥太郎一忠(こじまやたろうかずただ)
新津丹波守勝資(にいつたんばのかみかつすけ)
二番隊
甘粕近江守景持(あまかすおうみのかみかげもち)
北条安芸守高広(きたじょうあきのかみたかひろ)
杉原壱岐守憲家(すいばらいきのかみのりいえ)
本庄越前守繁長(ほんじょうえちぜんのかみしげなが)
三番隊
宇佐美駿河守定満(うさみするがのかみさだみつ)
桃井讃岐守直光(ももいさぬきのかみなおみつ)
長尾左衛門尉憲景(ながおさえもんのじょうのりかげ)
松川大隅守元長(まつかわおおすみのかみもとなが)
四番隊
柿崎和泉守景家(かきざきいずみのかみかげいえ)
柏崎日向守(かしわざきひゅうがのかみ)
毛利上総介広俊(もうりかずさのすけひろとし)
須賀但馬守(すがたじまのかみ)
五番隊
村上左近衛少将義清(むらかみさこんえのしょうしょうよしきよ)
高梨摂津守政頼(たかなしせっつのかみまさより)
井上備後守清政(いのうえびんごのかみきよまさ)
綿内内匠頭満行(わたうちたくみのかみみつゆき)
須田相模守満親(すださがみのかみみつちか)


永禄四年(1561年)八月十六日
上杉軍出陣の報せを受けた徳栄軒信玄は、
武田太郎義信(たけだたろうよしのぶ)
武田左馬助信繁(たけださまのすけのぶしげ)
武田逍遙軒信綱(たけだしょうようけんのぶつな)
長坂長閑斎光堅(ながさかちょうかんさいみつかた)
穴山梅雪斎信君(あなやまばいせつさいのぶただ)
飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)
山県三郎兵衛昌景(やまがたさぶろうべえまさかげ)
内藤修理亮昌豊(ないとうしゅりのすけまさとよ)
原隼人正正種(はらはやとのかみまさたね)
山本道鬼斎勘助(やまもとどうきさいかんすけ)
室住豊後守虎定(もろずみぶんごのかみとらみつ)
馬場民部少輔信房(ばばみんぶのしょうのぶふさ)
甘利左衛門尉信忠(あまりさえもんのじょうのぶただ)
小山田備中守虎満(おやまだびっちゅうのかみとらみつ)
小山田左兵衛尉信茂(おやまださひょうえのじょうのぶしげ)
小幡尾張守信定(おばたおわりのかみのぶさだ)
真田一徳斎幸隆(さなだいっとくさいゆきたか)
跡部大炊之助勝資(あとべおおいのすけかつすけ)
浅利式部少輔信種(あさりしきぶのしょうのぶたね)
小笠原若狭守長詮(おがさわらわかさのかみながあき)
相木能登守昌朝(あいきのとのかみまさとも)
芦田下野守幸成(あしだしもつけのかみゆきなり)
望月三郎信頼(もちづきさぶろうのぶより)
今福丹後守虎孝(いまふくたんごのかみとらたか)ら総勢二万余人を率い躑躅ヶ館を出陣している。
第一次から第五次にわたる川中島の戦いの中で、唯一大規模な戦いとなり、多くの死傷者を出した
第四次川中島の合戦が今、始まろうとしていた。


CATEGORY/カテゴリ
戦国乱世を駆け抜けた武士の見た夢
今も語り継がれる歴史に名高い英雄たちは、時代の渦の中で、どのように生き抜いたのか。
戦国城下町
戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。
第三章 永禄記
1558年から1570年までの12年間を指すこの時期に、
織田信長が天下布武を掲げ、覇道の道を進む事になる。
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Category: 永禄記

Theme: 歴史

Genre: 学問・文化・芸術

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