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長慶の最後

 【10//2012】

長慶の最後

畿内を全て支配下に置き、絶対的権力者となっていた三好修理大夫長慶であったが、
永禄四年(1561年)
六角左京大夫義賢と結んだ畠山修理亮高政が、長慶との間に戦端(せんたん)を開くと、
それまで大人しくしていた反三好勢力が、一斉に反撃に転じたのである。

畠山 高政(はたけやま たかまさ)
戦国時代の紀伊・河内の守護大名・戦国大名。畠山尾州家(畠山政長流)の当主。
紀伊と河内を支配する戦国大名だったが教興寺の戦いなどで敗れ、河内における支配権を失い、紀伊に後退。
その後も失地回復を試みたが果たせなかった。


長慶は一族や被官らの率いる阿波・淡路の兵を岸和田に集結し、畠山軍を迎撃するが、
戦いは畠山勢の有利に展開し、両軍の対陣は翌五年に至った。
永禄五年(1562年)三月
和泉の久米田に陣を布いていた長慶の弟三好豊前守義賢が、畠山高政率いる根来衆らの攻撃により、
討ち取られてしまう。
義賢を討ち取った畠山軍は、勢いに乗じそのまま長慶の本陣である飯盛城に攻め寄せた。
これに対し三好勢は、長慶の嫡男三好筑前守義興松永弾正忠久秀らが河内国教興寺表に進軍し、久秀の謀略が効を奏して三好軍はかろうじて勝利を得た。

三好 義賢(みよし よしかた)
戦国時代の武将。三好長慶の弟にあたる。
長慶の上洛以来、義賢は長慶に代り四国を統治しており、長慶の信頼を得ていた優秀な武将であったと思われる。
義賢はかなりの教養人であったようで、茶の湯に対しても造詣が深く、武野紹鴎、千利休、今井宗久、津田宗達、
北向道陳らと茶会を行っている記録が残されている。
また、茶器好きとしても知られており、約50点もの茶器を所持していたとも言われている。
明から輸入された唐物や「三日月茶壺(唐物三日月)」という茶壷に対して、
3,000貫文もの金をつぎ込んだという逸話も残されている。


畠山高政との戦いで長慶の活躍を支えてきた義賢が戦死し、前年の永禄四年には、
猛将と謳われた十河讃岐守一存も病死しており、三好政権の要となる人物が相次いでこの世を去った。
それもあってか、長慶は政治への意欲を失い、その指導力も低下していったという。
さらに追い討ちをかけるかのように、
永禄六年(1563年)
将来を嘱望(しょくぼう)していた嫡男の義興が急死してしまう。
義興の死は、三好氏の実権を掌握しようと目論む松永久秀が、その聡明を嫌って毒殺したとする説もある。
また、一存が死んだ時にも久秀が傍にいたことから、当時京都では久秀による暗殺説が伝聞として流れていた。
さらに、翌永禄七年(1564年)五月
松永久秀の讒言(ざんげん)を信じ、長慶はもうひとりの弟安宅摂津守冬康を殺害する愚行をなした。
一説ではこの頃の長慶は、弟や最愛の息子の死などの不幸が重なり、心身に異常をきたし、
精神状態が不安定(うつ病)であったとされている。

十河 一存(そごう かずまさ /かずなが)
戦国時代の武将。三好長慶の弟にあたる。
一存は、「鬼十河」(鬼十川)と呼ばれて敵に恐れられ、その武勇から家臣たちからも信望が厚く、
「十河額」と呼ばれていた一存の髪型を真似する家臣も多かったという。

三好 義興(みよし よしおき)
戦国時代の武将。三好長慶の嫡男。
続応仁後記において、義興の器量は父祖に劣らず優れており、天下の乱を治める人であったと記されている。
また義興は、将軍足利義輝と年齢が近く、教養も武勇もあったためか、義輝と厚い親交があったと言われている。

安宅 冬康(あたぎ ふゆやす)
戦国時代の武将。三好長慶の弟にあたる。
冬康は、平素は穏健かつ心優しい性格で、血気に逸って戦で殺戮を繰り返し傲慢になっていた兄長慶に対し鈴虫を贈り、「夏虫でもよく飼えば冬まで生きる(または鈴虫でさえ大事に育てれば長生きする)。まして人間はなおさらである」と無用な殺生を諌めたという逸話が残っている。


「南海治乱記」には、
「三好長慶は智謀勇才を兼て天下を制すべき器なり、豊前入道実休は国家を謀るべき謀将なり、
十河左衛門督一存は大敵を挫くべき勇将なり、安宅摂津守冬康は国家を懐くべき仁将なり」
と記されている。
それから二ヶ月後の
永禄七年(1564年)七月
一世の英雄三好修理大夫長慶 死去。
長慶の死後、養子の義継(一存の子)が家督を継承するが、
既に重臣の松永久秀や、三好三人衆が主家を凌駕(りょうが)する実力を保持しており、
義継は彼らの傀儡(かいらい)に過ぎなかった。


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