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お気に入りの愛人

 【18//2014】

愛妾 深芳野



大永六年(1526年)十二月
「国を盗る」と志を立ててから数年が経ち、西村勘九郎正利は三四歳になっていた。
事実上の美濃国主となる十六年前である。

この年、
土岐左京大夫頼芸の信任を得ていた勘九郎は、
頼芸の愛妾深芳野を与えられ側室としている。


戦国Check✓

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)
斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

美濃国(みののくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。別称は濃州(のうしゅう)。
領域はおおむね現在の岐阜県の南部。
多藝郡、石津郡、不破郡、安八郡、池田郡、大野郡、本巣郡、席田郡、方県郡、厚見郡、各務郡、山県郡、武藝郡
郡上郡、加茂郡、可児郡、土岐郡、恵奈郡の十八郡から成る。

土岐 頼芸(とき よりあき)
戦国時代の武将。官位は左京大夫、美濃守。美濃守護。美濃土岐家第十五代当主。
斎藤道三に擁立され、兄土岐頼純を越前に追放し、美濃守護となる。
天文二十一年、道三とあらそって敗れ、のち尾張の織田信長をたよったとされる。
鷹の絵が得意で、土岐洞文と同一人物との説もある。

深芳野(みよしの)
斎藤道三の側室。一色右京大夫の女というが不詳。
もとは美濃土岐家の頼芸の側室で、大永六年(1526年)頃から道三の側室になった。
一説に、義龍の生は土岐頼芸の落胤説があるが、これは義龍の生母を深芳野と仮定したことによる俗説である。

愛妾(あいしょう)
お気に入りのめかけ。



「襖絵に描かれる虎の瞳を槍で突けたら、望むものをとらす」と言う頼芸の余興に対し、
勘九郎は、「それにかわるものとして殿に美濃一国を差しあげます」と言い放ち、みごと虎の瞳を槍で突き、
頼芸の愛妾深芳野を得た。



大永七年(1527年)七月八日
勘九郎が深芳野を側室とした半年後、男子が誕生する。
幼名豊太丸
後の斎藤新九郎義龍である。
深芳野を得た事により、勘九郎そして美濃の未来が大きくねじれていくこととなる。



戦国Check✓

幼名(ようみょう/ようめい)
幼少時の名前の事。おさな名・童名・小字とも言う。
武家では幼名を代々継承する家が多く存在した。
たとえば徳川将軍家の竹千代、尾張徳川家の五郎太、紀州徳川家の長福丸、水戸徳川家の鶴千代、
加賀前田氏の犬千代などがあり、事例に枚挙の暇が無い。
これらはそれぞれの家の初代当主の幼名であり、これらは子孫のうち後を継ぐべき嫡男の幼名にもなり、
代々受け継がれていった。

斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家第二代当主。美濃一色家初代当主。
室町幕府相伴衆。
斎藤道三の嫡男だが、美濃守護土岐頼芸の子との説もある。
父道三が家督を弟に譲ろうとしたことから先手をとって弟たちを殺害、さらに道三と長良川に戦いこれを敗死させる。
その後、美濃侵攻をもくろむ信長と戦ったが、病没した。


県別戦国武将事典 楠木 誠一郎(著)
実録!!新・戦国時代ミステリー99 跡部 蛮(著)
戦国武将の意外な関係 加賀 康之(著)
猛き黄金の国 斎藤道三 本宮 ひろ志(著)
兵は詭道なり 斎藤道三 岩井 三四二(著)


次回 第十九話 確執に悩む少年 ⇒




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