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旧勢力の没落と新興勢力の台頭

 【11//2015】

乳首を噛む戦国時代のカリスマ



応仁元年(1467年)
応仁の乱以降、室町幕府の力が弱体化していき、全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現

古い権威が否定され、新興の実力者が新しい権力階級にのし上がり領国を統治していく


戦国Check✓

応仁の乱(おうにんのらん)
室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明九年(1477年)までの約十年間にわたって継続した内乱。
八代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの
有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。
乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。
十数年に渡る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。

手にとるように戦国時代がわかる本 岸祐二 (著), 加来耕三 (監修)








誕生
天文三年(1534年)五月十二日
織田弾正忠信秀の次男(三男との説もある)として、尾張勝幡城にて男子が誕生
幼名は吉法師
のちに戦国時代のカリスマとして光を放つ織田三郎信長である。

信秀は男十二人、女十二人の子をもうけたが、
吉法師は正室である土田御前の子ということで弾正忠家の嫡流として扱われた。

二十四人の兄弟で土田御前を母とするのは三郎信長勘十郎信行喜六郎秀考の三人だけである。
※お市の方も土田御前の子とする説もあるがはっきりはしていない。

信長の兄弟



乳母
赤ん坊の吉法師にこんな逸話がある。
武家の子供は乳母に育てられることが多いが、吉法師の乳母は次々と変わることになる。

吉法師は癇の強い赤ん坊で、授乳中に乳母の乳首を噛みちぎる癖があったためだ。
その為、生母の土田御前は、荒々しい気性に生まれついた吉法師を、疎(うと)んじ遠ざけていた。


戦国Check✓

織田 信秀(おだ のぶひで)
戦国時代の武将。通称は三郎。官位は従五位下、弾正忠、備後守、三河守。
織田弾正忠家第三代当主。織田信長の父。
智勇に優れた武将であり、その豪勇は「尾張の虎」と称されて恐れられた。
また当時の経済流通拠点であった商業都市津島や熱田を支配下に組み込み、織田弾正忠家の礎を築いた。

土田御前(どたごぜん)
戦国時代・安土桃山時代の女性。
織田信秀の継室(織田達勝息女が最初の正室であるが離縁)。実名は不明。別称は花屋夫人。法名は報春院花屋寿永大禅尼。
織田信長、織田信行、織田秀孝、織田信包、お市の方、お犬の方の生母。

尾張勝幡城(しょばたじょう)
尾張国中島郡勝幡(現在の愛知県愛西市勝幡町と稲沢市平和町六輪字城之内)にあった城。

乳母(うば、めのと)
母親に代わって子育てをする女性のこと。



赤ちゃんが乳首を噛む
歯が生えてきた赤ちゃんに、乳首を噛まれ、痛い思いをされている乳母は非常に多いと聞く。
赤ちゃんが乳首を噛む、その主な原因は、母乳の味(質)が落ちたことにあるようだ。


吉法師が乳首を噛みちぎる主な理由として
<食生活の乱れ>
母乳がしょっぱくなったり、苦くなったりすると、吉法師は嫌がって乳首を噛みちぎる事があります。
乳母は、食事を心がけ、質の改善を試みると良いそうです。

<授乳の仕方が悪い場合>
くわえ方が浅い場合が考えられます。
授乳の時、乳輪部が隠れるくらい吉法師の口腔内(こうこうない)に、深くくわえさせるといいそうです。

<ホルモンバランスの変化>
ホルモンバランスの変化が母乳の質に影響を与えると言われています。
排卵日前後や、生理開始前後、または肉体的・精神的ストレスなどによる、
ホルモンバランスが乱れている場合も考えられます。

<遊び心が芽ばえた>
ある程度、満腹感を得たとき、いたずら気分で噛みちぎってみたら、乳母が大げさな反応をしておもしろかったから、
また噛みちぎってやろうなんていう、遊び心も出てきます。
吉法師が乳首を噛んだら、「低い声で叱る」、「速やかに乳首を離す」など色々と試してみるといいそうです。

間違っても、噛むことを許したり、「キャ~」と叫ぶなんてことをしてはいけません。
吉法師は、乳母が喜んでくれたと勘違いし、乳母を喜ばせるために、乳首を噛みちぎり続けるからです。


しかし、
乳母が池田勝三郎恒興の母養徳院に変わるとこの癖は無くなったようである。
いくら主君の御嫡男であったとしても「やってはいけない事がある」ということを、
養徳院はきつく吉法師に教えたのかもしれない。

生まれた時から両親と離れて暮らし、実母の愛を知らなかった吉法師は、無意識に母を求め、
慈愛に満ち溢れる養徳院に母を見たのかも知れない。

信長はこの養徳院を大御乳(おおおち)と呼び敬愛することとなる。
また、乳兄弟の池田恒興は、信長を慕い信長が死ぬまで忠節を尽くすことになる。


戦国Check✓

養徳院(ようとくいん)
戦国時代・安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。
織田信長の乳母。実名は不明。
池田政秀の娘として近江国で生まれ、池田恒利の正室となり、池田恒興を出産する。
後に、恒利とは離縁し信秀の側室となり、娘小田井殿を出産する。

池田 恒興(いけだ つねおき)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は勝三郎、官位は紀伊守(自称)。
尾張織田家重臣。織田信長、豊臣秀吉に仕える。清洲会議における四宿老の一人。



尾張の風雲児 織田三郎信長 
これより天下への道を駆け上ることになる

その信長の前に立ちはだかるのが

下克上により戦国大名に成り上がった美濃の蝮 斎藤山城守道三

戦国期稀代の謀将 中国の覇者 毛利治部少輔元就

天下に覇を唱える大大名 海道一の弓取り 今川治部大輔義元

戦国期最強の騎馬軍団 甲斐の虎 武田大膳大夫信玄

合戦の神毘沙門天の化身 越後の龍 上杉弾正少弼謙信などであった。





次回 第二話 織田信秀が勝ち旗に込めた意味




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