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幼少期の不安や怒りは大人になっても継続する!!

 【18//2014】

確執に悩む少年


大永七年(1527年)七月八日
西村勘九郎正利に嫡男が誕生する。
幼名豊太丸

のちの斎藤新九郎義龍である。
生母は側室である深芳野であった。


戦国Check✓

美濃国(みののくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。別称は濃州(のうしゅう)。
領域はおおむね現在の岐阜県の南部。
多藝郡、石津郡、不破郡、安八郡、池田郡、大野郡、本巣郡、席田郡、方県郡、厚見郡、各務郡、山県郡、武藝郡
郡上郡、加茂郡、可児郡、土岐郡、恵奈郡の十八郡から成る。

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)
斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家第二代当主。美濃一色家初代当主。
室町幕府相伴衆。
斎藤道三の嫡男だが、美濃守護土岐頼芸の子との説もある。
父道三が家督を弟に譲ろうとしたことから先手をとって弟たちを殺害、さらに道三と長良川に戦いこれを敗死させる。
その後、美濃侵攻をもくろむ信長と戦ったが、病没した。

深芳野(みよしの)
斎藤道三の側室。一色右京大夫の女というが不詳。
もとは美濃土岐家の頼芸の側室で、大永六年(1526年)頃から道三の側室になった。
一説に、義龍の生は土岐頼芸の落胤説があるが、これは義龍の生母を深芳野と仮定したことによる俗説である。

猛き黄金の国 斎藤道三 本宮 ひろ志(著)
兵は詭道なり 斎藤道三 岩井 三四二(著)
蝶の紫 コリー・ファルコン スコット(著)





程なくして、実父は利政ではな土岐左京大夫頼芸であるとの噂が流れた。

深芳野が利政の側室となったときにはすでに、頼芸の子を懐妊していたという。

義龍はやがてその噂を知り、実父・頼芸を追放した利政に対して恨みを抱くようになる。

しかしこれは信憑性に乏しく後年の創作とも云われている。


戦国Check✓

土岐 頼芸(とき よりあき)
戦国時代の武将。官位は左京大夫、美濃守。美濃守護。美濃土岐家第十五代当主。
斎藤道三に擁立され、兄土岐頼純を越前に追放し、美濃守護となる。
天文二十一年、道三とあらそって敗れ、のち尾張の織田信長をたよったとされる。
鷹の絵が得意で、土岐洞文と同一人物との説もある。



また利政は美濃での地盤作りため、東美濃の名門である美濃明智城主明智駿河守光継の娘、
小見の方正室として迎えている。
小見の方は明智十兵衛光秀の伯母とも伝えられている人物である。

この小見の方との間にに生まれた女児が、後に織田三郎信長に嫁ぐ濃姫(帰蝶)である。

また、次男孫四郎龍重、三男喜平次龍定らも、小見の方との間に出来た子であり「正室の子」であった。

家督は義龍が継承することになるのであるが、正室の子である孫四郎・喜平次らを溺愛する利政を見ていると、
いずれ自分は廃嫡され、家督は次男の孫四郎が継承するかもしれないという不安が義龍には常にあった。

義龍は側室の子であり、しかも実父は追放された土岐頼芸なのである。

時は戦国の世であり、相手は梟雄と謳われた「蝮」である。

義龍の利政に対する恨みはますます強くなるのであった。


戦国Check✓

美濃明智城(みのあけちじょう)
美濃国可児郡明智庄(現在の岐阜県可児市瀬田長山)にあった城。

明智 光継(あけち みつつぐ)
戦国時代の武将。官位は兵庫頭、民部少輔、駿河守。土岐氏流明智家当主。東美濃の梟雄。
土岐氏の勢力がいまだ残る美濃において、小勢力ながら素早い情勢判断、情報力、さらには政治力を繰り出し、
外交感覚を頼りに生き延びた。
斎藤道三が台頭するとすかさずこれに属し、まだ幼い娘であった小見の方を道三に人質という形で差し出し、
道三正室となる。

小見の方(おみのかた)
戦国時代の女性。斎藤道三正室。
美濃明智城主 明智駿河守光継の娘で、光秀の伯母とも伝えられる。
信長の正室 濃姫と次男孫四郎の母として知られるが、若くして病没した。

明智 光秀(あけち みつひで)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は十兵衛、惟任。官位は日向守。土岐氏流明智家当主。
戦国大名 織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした事で有名な人物。
諸学に通じ、和歌、茶の湯を好んだ文化人であり、内政手腕に優れ、領民を愛して善政を布いたといわれ、
現在も光秀の遺徳を偲ぶ地域が数多くある。

濃姫(のうひめ)
戦国時代から江戸時代初期の女性。織田信長の正室。
美濃国主 斎藤山城守道三の娘で、光秀の従兄妹とも伝えられる。
天文十八年(1549年)、十五歳で織田信長に嫁いだ。
このとき父道三は短刀を渡し、信長が愚か者ならこれで刺せと諭した。
濃姫は、父上を刺すことになるかも知れないと返答したという。

斎藤 龍重(さいとう たつしげ)
戦国時代の武将。通称は孫四郎。官位は右京亮、雅楽助。美濃国主 斎藤山城守道三の次男。
父斎藤道三から寵愛を受けるが、謀反を起こした兄斎藤義龍により謀殺される。

斎藤 龍定(さいとう たつさだ)
戦国時代の武将。通称は喜平次。官位は玄蕃。美濃国主 斎藤山城守道三の三男。
父斎藤道三から寵愛を受けるが、謀反を起こした兄斎藤義龍により謀殺される。

廃嫡(はいちゃく)
嫡流を継ぐ相続権を廃する、または廃されること。

梟雄(きょうゆう)
残忍で強く荒々しいこと。また、その人。悪者などの首領にいう。
戦国三大梟雄として、「北条早雲」「斎藤道三」「松永久秀」を主に指す。




次回 第二十話 謎を呼ぶ2つの資料 ⇒




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