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まるで倒産寸前のようだ・・・・

 【19//2014】

松平家の結束


天文十一年(1542年)十二月二六日
松平次郎三郎広忠の嫡子竹千代が誕生したことにより、松平家中がにわかに活気付き、
分裂していた松平党が一つにまとまりはじめていた。

当時の松平家は、駿河国の今川冶部大輔義元が東三河にまで進出し、
西は尾張国の織田弾正忠信秀によって脅かされる状況にあったため、
今川氏との間で従属的な同盟関係を結ぶ事でどうにか家命を保っていた。

また広忠は、織田氏への備えとして、尾張との国境に近い西三河刈谷城主水野右衛門大夫忠政の娘
於大を正室として迎えていた。
これは水野氏との姻戚関係を築くことで国境を接する織田氏に備えようとする政略結婚であった。
その於大との間に、松平家の希望の星ともいえる嫡子が誕生する。


戦国Check✓

松平 広忠(まつだいら ひろただ)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎、次郎三郎、三郎、岡崎三郎。
三河松平家第八代当主。徳川家康の父。官位は贈従二位大納言。
「守山崩れ」で老臣阿部定吉と共に伊勢、遠江へ逃れ、
天文六年(1537年)、今川義元の支援により岡崎城への帰還を果たす。
以後、今川方部将として、尾張の織田信秀と戦うことになる。

徳川 家康(とくがわ いえやす)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は次郎三郎。官位は蔵人佐、三河守、左京大夫、侍従、右近衛権少将、
左近衛権中将、従三位、参議、権中納言、権大納言、左近衛大将、左馬寮御監、内大臣、右大臣、征夷大将軍、
太政大臣。
江戸幕府初代征夷大将軍。
幼少時に織田、今川の人質となるが、桶狭間の戦で岡崎に戻り、信長と結んで勢力を拡大。
本能寺の変後は、豊臣秀吉と対立するが和睦し、秀吉の天下統一に協力する。
秀吉の死後、関ヶ原の戦で石田三成を破り対抗勢力の一掃に成功、征夷大将軍となる。
大坂冬、夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一して幕府の基礎を固めた。

駿河国(するがのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は駿州(すんしゅう)。
領域はおおむね現在の静岡県中部と北東部(大井川以東)。
駿河郡、富士郡、庵原郡、安倍郡、有渡郡、志太郡、益津郡の七郡から成る。

今川 義元(いまがわ よしもと)
戦国時代の武将。駿河国及び遠江国の守護大名。官位は治部大輔。今川氏第十一代当主。
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
寄親、寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才能を発揮して
今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、
尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死した。

尾張国(おわりのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は尾州(びしゅう)。
領域はおおむね現在の愛知県西部にあたる。
智多郡、愛智郡、春日井郡、丹羽郡、葉栗郡、中嶋郡、海東郡、海西郡の八郡から成る。

織田 信秀(おだ のぶひで)
戦国時代の武将。通称は三郎。官位は従五位下、弾正忠、備後守、三河守。
織田弾正忠家第三代当主。織田信長の父。
智勇に優れた武将であり、その豪勇は「尾張の虎」と称されて恐れられた。
また当時の経済流通拠点であった商業都市津島や熱田を支配下に組み込み、織田弾正忠家の礎を築いた。

従属(じゅうぞく)
権力や威力のあるものに依存して、それにつき従うこと。

三河刈谷城(みかわかりやじょう)
三河国碧海郡刈谷(現在の愛知県刈谷市城町)にあった城。

水野 忠政(みずの ただまさ)
戦国時代の武将。通称は藤七郎。官位は右衛門大夫、下野守。
尾張緒川城を拠点として知多半島北部をその支配下においていたが、
天文二年(1533年)、三河刈谷に新城刈谷城を築いた。
織田信秀の西三河進攻に協力しつつ、他方では岡崎城主松平広忠、形原城主松平家広などに娘を嫁がせ
領土の保全を図った。

於大の方(おだいのかた)
戦国時代の女性。松平広忠の正室で、徳川家康の母。
尾張国知多郡の豪族 水野忠政とその夫人 於富との間に生まれる。
三河松平家との関係を強化するため、松平広忠の正室となり、長男竹千代(のちの徳川家康)を出産する。
しかし忠政の死後、水野家を継いだ兄 水野信元が今川家と絶縁して織田家に従ったため、
於大は今川家との関係を慮った広忠により離縁され、実家水野家の三河国刈谷城に返された。



改正三河後風土記には、
三河岡崎城内で竹千代が産声をあげると同時に、鳳来寺に安置されていた真逹羅大将像が、
どこへともなく消え失せてしまったという不思議な事が記されている。

また、誕生の瞬間、城の上空に瑞雲が顕われ金鱗の龍が躍ったとも伝えられている。

こうした世継ぎ誕生秘話が、今川家の属国となり、さらに織田方にも領土を侵されようとする苦しい状況の中、
広忠や三河譜代衆の胸に新たな希望の光を灯させることになった。

また竹千代懐妊時の逸話であるが、於大の夢枕に薬師如来が立ち、
「わが十二神将のうち、真逹羅大将(普賢菩薩)をもってそなたに授けよう」との
託宣(たくせん)を得たとの逸話もある。

こうした言い伝えが生まれたのは、
於大の方が部下に命じてさまざまな奇瑞(きずい)を演出したからとする説が有力で、
於大の方が機知に富んだ女性であったという話に結びつく言い伝えである。


戦国Check✓

改正三河後風土記(みかわごふどき)
天保三年(1832年)に、徳川家斉の命により、
成島司直の手で「三河後風土記」の改編および「三河物語」などでの校正がなされ、
序文・首巻が付けられた全四十二巻からなる歴史書。
徳川氏創業史の一つで、徳川氏が祖と称している清和源氏から徳川家康将軍就任までを、年代順に記述する。
江戸幕府の編纂物の一つ。

三河岡崎城(みかわおかざきじょう)
三河国額田郡岡崎(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった城。

鳳来寺(ほうらいじ)
三河国設楽郡黒瀬(現在の愛知県新城市)にある真言宗五智教団寺院。山号は煙巌山。
大宝二年(702年)に利修仙人が開山したと伝えられる。
文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、
鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。

薬師如来(やくしにょらい)
西方極楽浄土の阿弥陀如来に対する東方浄瑠璃界の教主。
正式名は「薬師瑠璃光如来」、「大医王仏(だいいおうぶつ)」とも呼ばれる。
医薬を司り、人々の病気を治し、安楽を与える。
そのため仏像は左手に薬壺を持っていることが多い。

真逹羅大将(しんだらたいしょう)
薬師如来を十二の方角から守護するとされる十二神将(じゅうにしんしょう)のうち、十番目(寅神)を司り、
化身前の本来の姿は、普賢菩薩(ふげんぼさつ)であるとされている。
世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者。「普く賢い者」。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)
大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊。四七日の仏とされる。
「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う菩薩。
文殊菩薩と共に釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多い。
文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たす。

瑞雲(ずいうん)
仏教などで、めでたい兆しとして出現する、紫色や五色の珍しい雲。

譜代(ふだい)
父から子へ、子から孫へというように同一血統の中で正しく継承が行われてきた家系及び、
その族姓・系統の正しさを証明する系譜類などを指す。
また、特定の主家に代々仕えてきた家臣の系統を指して「譜第の臣」「譜第の者」などとも称した。

託宣(たくせん)
神託(しんたく)。神のお告げ。神の意志を伝えること。
人が神に教えを乞うもの、神が人に祭事などを求めて予告するものなどがあり、そのときの状態を神がかりといった。
神が乗り移る対象の多くは、女性、小児であり、また男性神職のことも歴史上よくみられる。

奇端(きずい)
めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。


希望
言い伝えがどうこうという話は別にして、竹千代が松平の希望の星として誕生したことは間違いないだろう。
竹千代誕生を期に、広忠自身に松平家再興の野心が芽生えはじめていくことになる。

がしかし、
天文十四年(1545年)九月二十日

第二次安城合戦での敗北によって、松平家の地位は完全に地に落ち、
駿河今川家への依存はますます強くなることになる。


戦国Check✓

第二次安城合戦(あんじょうかっせん)
天文十四年(1545年)九月、三河国碧海郡安城縄手で行なわれた合戦。
安祥城奪還を目論む松平広忠が、織田信秀に挟撃を受け、軍勢を二つに分断され、退路を完全に断たれた際、
重臣本多忠豊が広忠の身代わりとなって敵本陣に突撃し、広忠を窮地から救った。
しかし、身代わりとなった本多忠豊は討死。

松平家の謎 「歴史読本」編集部
松平三代記 清康・広忠・家康、三河から天下へ 嶋津 義忠 (著)
わが子に教えたい日本の心 石 平(著)
歴史雑学BOOK 図解 戦国ミステリー 合戦と武将50の謎 綜合図書





今川冶部大輔義元はこの時を待っていた。

義元は、伊勢国へ亡命していた広忠の三河岡崎城復帰の後押しをし、そのまま広忠に三河国を治めさせていた。
それは、裏で今川家がそれを操る傀儡政権を目論んでいたからである。

義元にとって、松平宗家の継承問題で弱体化した松平家を攻め滅ぼし、
三河国を奪い取る事はさほど難しい事ではなかった。

しかし、英雄松平二郎三郎清康の嫡子広忠への民の服従ぶりには深いものがあり、また世継ぎである
竹千代の誕生により、領民たちはより一層、松平宗家を慕うようになっていた。

今ここで三河国へ侵攻し、新領主として義元が三河国を経営する事になれば、
領内が乱れることは目に見えてわかっていた。

そこで義元は、駿河・遠江の太守として松平家を支援(同盟)する事を選んだ。

裏で広忠を操る方が三河国の民を抑えるのに都合が良いと考えていたからである。


戦国Check✓

三河国(みかわのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は三州または参州 (さんしゅう)
領域はおおむね現在の愛知県東部にあたる。
碧海郡、額田郡、渥美郡、八名郡、加茂郡、幡豆郡、宝飯郡、設楽郡の八郡から成る。

傀儡政権(かいらいせいけん)
事実上の支配者を他の権力者が、背後から管理・統制・指揮している政権である。

松平 清康(まつだいら きよやす)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎。三河松平家第七代当主。徳川家康の祖父。
安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族、家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。

ホントはどうなの?戦国武将への大質問 歴史の謎研究会
今川氏家臣団の研究 小和田 哲男 (著)
桶狭間戦記-センゴク外伝 講談社 宮下 英樹(著)



安城合戦で、松平勢が大敗を喫したという報せを受けた義元は、大いに喜んだに違いない。
これを期に今川冶部大輔義元による松平家に対する外交政策がはじまることになる。



次回 第二十五話 伊勢湾商業圏の争奪戦 ⇒




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