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中小企業を取り巻く経済、経営環境とは

 【21//2014】

伊勢湾商業圏の争奪戦



伊勢湾交易織田弾正忠家の生命線これを断てば織田弾正忠家は滅亡

当時の織田弾正忠家は、尾張守護代であった織田大和守家に仕える清洲三奉行の一つに過ぎず、
いわば地方の弱小田舎領主でしかなかった。

織田家

しかし、信長の祖父織田弾正忠信定が、尾張八郡の内、中島郡 海西郡にまで勢力を広げ、
伊勢湾交易の要港津島湊を手中に収めたことにより、織田弾正忠家は主家大和守家をも凌ぐ勢力と化した。



戦国Check✓

織田氏(おだし)
家系は平資盛の子と称する平親真を祖とする桓武平氏流と自称しているが、
越前国織田庄(福井県丹生郡越前町)の織田剣神社の神官の出自であるとも云われている。
幕府の三管領の斯波武衛家の守護代であり、室町時代には尾張国の守護代を務める。
戦国時代には一族同士の争いの結果、弾正忠家の織田信長が勢力を大きく広げた。

織田大和守家(おだやまとのかみけ)
尾張守護職・斯波氏の被官である織田氏の一族。
尾張八郡の内、下四郡を支配する守護代。別称は清洲織田氏。
元々は尾張守護代の「織田伊勢守家」の分家にてその代官である又守護代の地位にあったという。

清洲三奉行(きよすさんぶぎょう)
清洲城を本拠に守護斯波氏を奉じ、尾張下四郡を支配下に治めていた尾張国守護代、清洲織田氏(大和守家)
に仕える奉行三家のこと。
因幡守家、藤左衛門家、弾正忠家がある。

織田弾正忠家(おだだんじょうのちゅうけ)
尾張国守護代、清洲織田氏(大和守家)に仕える清洲三奉行家の一つ。
弾正忠家の元々の系譜は定かではないが、室町時代、当時の守護代である織田常松の家臣に織田弾正なる人物がいたことが分かっており、その子孫がのちの清洲三奉行の一家である弾正忠家と推測されている。
①織田良信②織田信定③織田信秀④織田信長⑤織田信忠⑥織田秀信

織田 信定(おだ のぶさだ)
戦国時代初期の武将。通称は三郎。官位は弾正忠、弾正左衛門尉。
織田弾正忠家第二代当主。織田信長の祖父。
清洲城を本拠とした織田大和守家当主の織田達勝のもとで奉行職を務めた。清洲三奉行。
中島郡・海西郡に勢力を広げて津島の港を手中に収め、津島に居館を構えた。
この港から得た経済力が戦国大名としての織田氏の発展の基礎となったとされる。

津島(つしま)
鎌倉時代から、尾張と伊勢を結ぶ要衝「津島湊」として発展した。
全国天王信仰の中心地である「津島神社」の門前町として、尾張一の豊かな町として知られた。
織田信定がこの地を押さえて以降、信長までの織田氏三代の経済的基盤が築かれた。




織田弾正忠家が津島を支配することにより、津島湊は、東海海運業の拠点として発展していく。

貿易都市 商業都市として栄えた津島は、工業が発展し、それに伴い人口の増大、市場の拡大、交通の発達など、
急速に発展していき、東海一の文化 先進都市を誇ったと言われている。




武功夜話に、
尾張国丹羽郡小折村の生駒八右衛門家長という豪商の事が記されている。

尾張はいうに及ばず、遠く、飛騨・美濃・三河・伊勢・駿河方面にまで灰(肥料)や油(燈油)を商う大豪商であり、
伊勢湾交易の拠点津島湊の権益を背景に、織田三郎信長の雄飛を支えたともいえる人物である。



戦国Check✓

武功夜話(ぶこうやわ)
戦国時代から安土桃山時代頃の尾張国の土豪前野家の動向を記した覚書などを集成した家譜の一種。
前野家文書と呼ばれる古文書群の中心的な家伝史料である。
三巻本、二十一巻本などいくつかの異本が存在している。

小折村(こおりむら)
尾張国丹羽郡小折村(現在の愛知県江南市)辺りの地。

生駒 家長(いこま いえなが)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は八右衛門。尾張小折城主。尾張生駒宗家第三代当主。
灰(染料用)と油を扱い、馬借としての商いで財を蓄えた武家商人。
はじめ犬山城主 織田信清の配下であったが、妹の吉乃(類)が織田信長に見初められ側室に迎えられ、
縁戚関係を結んだため、父ともに信長の家臣となり馬廻りとして仕えた。


武功夜話―前野家文書 吉田 蒼生雄(著)
青銭大名 東郷 隆(著)
桶狭間戦記-センゴク外伝 講談社 宮下 英樹(著)
織田信長のマネー革命 (ソフトバンク新書) 武田 知弘 (著)
戦国武将 起死回生の逆転戦術 榎本 秋 (著)
その歴史常識にはウラがある! 歴史の謎研究会 




尾張生駒家は津島の有力な豪商で弾正忠家と親密な関係に早くからあった。

織田弾正忠信定がそれまで自治都市として繁栄していた津島を武力により支配した後、
津島商人の怒りを抑えるため弾正忠家の家督を継承した信秀は、
生駒因幡守家宗の薦めによって津島南朝十五党の党首大橋清兵衛重長御蔵の方を輿入れさせ、
津島との繋がりを強固なものとしていた。



戦国Check✓




交易遮断
伊勢湾交易が織田弾正忠家の生命線であったことは確かである。
その生命線の切り崩しを図ろうとしたのが今川冶部大輔義元であった。

天文十五年(1546年)十一月十五日
織田弾正忠家と誼(よしみ)を通じる、三河今橋城主戸田金七郎宣成の討伐に、
義元は太原崇孚雪斎を派遣する。

この今川義元による戸田宣成討伐は、
三河渥美郡の要部(現在の豊橋市)をほぼ制圧した戸田氏の勢力に不安を感じた為の討伐であったとも言われている。

義元は、伊勢湾交易の最大の要衝とされる、津島⇔渥美半島間の海上ルートの遮断に乗り出した。
通説では、今川義元は愚将のレッテルを貼られているが、決して愚将などではなかった。

三河今橋城攻略に成功した雪斎は、そのまま城代として入城。
これにより、津島⇔渥美半島間の海運業を押さえられた信秀は、経済的ダメージを受けることになる。


戦国Check✓

今川 義元(いまがわ よしもと)
戦国時代の武将。駿河国及び遠江国の守護大名。官位は治部大輔。今川氏第十一代当主。
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
寄親、寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才能を発揮して
今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、
尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死した。

三河今橋城(みかわいまばしじょう)
三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町豊橋公園内)にあった城。

戸田 宣成(とだ のぶなり)
戦国時代の武将。通称は金七郎、橘七郎、三郎兵衛尉。三河今橋城主。
三河国渥美郡大崎郷を領した、渥美郡田原城主 戸田弾正忠憲光の次男。
天文六年 今橋城主牧野田兵衛尉成敏を退けて宣成が城主となる。
これにより、戸田氏は渥美郡に田原城、二連木城を有していたものに宣成の今橋城を加えて、
渥美郡の要部(現在の豊橋市)を天文十年までにはほぼ制圧した。

太原 崇孚 雪斎(たいげん そうふ せっさい)
戦国時代の武将、軍師、臨済宗僧侶。駿河今川家臣。
今川義元の軍師として緒戦において手腕を発揮する。
また外交面でも、今川氏の政治顧問として駿甲相三国同盟などで活躍し、今川氏の発展に大きく寄与した人物。

軍師(ぐんし)
軍中において、軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける職務を務める者。
知将、策士などとも言われる。

太原雪斎と今川義元 (PHP文庫) 江宮 隆之 (著)
今川氏家臣団の研究 小和田 哲男 (著)
今川義元―自分の力量を以て国の法度を申付く 小和田 哲男 (著)
日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 新人物往来社
戦国大名 格付け 綜合図書



方向転換
駿河、遠江の太守今川冶部大輔義元と渡り合うには、
伊勢湾交易の最大の要衝である津島⇔渥美半島間の海上ルートを取り戻し、
国を豊かにする事が必定と考えていた信秀には、三河今橋城の奪取が最重要課題となった。
しかし、今橋城奪還を無理に進めれば、三河岡崎城の松平二郎三郎広忠に後ろを突かれる心配がある。

そして今川義元が本格的に動き出したことにより、いよいよ駿河今川家との全面戦争は避けられなくなった。

美濃の斎藤新九郎利政にも隙は見せれない状況であった信秀は、
三河安祥城陥落の際やむ終えず織田家に従属することとなった松平広忠の同族松平三左衛門忠倫に近づき、


松平家は今川家より独立するべき時が来た

織田、松平ともに闘い、三河より今川を追い払うべきであり、

松平家の元凶である愚将広忠を今こそ討つべきである


言葉巧みに忠倫を挑発するのである。


天文十六年(1547年)十月十九日
松平三左衛門忠倫 松平宗家に対し謀反を起こした。



戦国Check✓

三河岡崎城(みかわおかざきじょう)
三河国額田郡岡崎(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった城。

松平 広忠(まつだいら ひろただ)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎、次郎三郎、三郎、岡崎三郎。
三河松平家第八代当主。徳川家康の父。官位は贈従二位大納言。
「守山崩れ」で老臣阿部定吉と共に伊勢、遠江へ逃れ、天文六年(1537年)、今川義元の支援により岡崎城への帰還を果たす。
以後、今川方部将として、尾張の織田信秀と戦うことになる。

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)、斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

三河安祥城(みかわあんしょうじょう)
三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった城。

従属(じゅうぞく)
権力や威力のあるものに依存して、それにつき従うこと。

松平 忠倫(まつだいら ただとも)
戦国時代の武将。通称は三左衛門。松平清康の弟。松平広忠の叔父。三河佐々木城主。
松平宗家に反抗し続けた人物ではあるが資料が残されておらず、謎の多い人物。

謀反(むほん)
「謀叛」とも表記し、君主、主君にそむくこと。
特に武力、軍事力を動員して反乱を起こすことを指すことが多いが、少人数で君主、主君を暗殺する行為を謀反ということもある。



次回 第二十六話 忠義の証 ⇒




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