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画家としての名声を得たトキ

 【05//2014】

土岐の鷹



美濃守護土岐左京大夫頼芸は、

斎藤新九郎利政によって二度
美濃国を追放されている。


戦国Check✓

土岐 頼芸(とき よりあき)
戦国時代の武将。官位は左京大夫、美濃守。美濃守護。美濃土岐家第十五代当主。
斎藤道三に擁立され、兄土岐頼純を越前に追放し、美濃守護となる。
天文二十一年、道三とあらそって敗れ、のち尾張の織田信長をたよったとされる。
鷹の絵が得意で、土岐洞文と同一人物との説もある。

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)、斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

美濃国(みののくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。別称は濃州(のうしゅう)。
領域はおおむね現在の岐阜県の南部。
多藝郡、石津郡、不破郡、安八郡、池田郡、大野郡、本巣郡、席田郡、方県郡、厚見郡、各務郡、山県郡、武藝郡、郡上郡、
加茂郡、可児郡、土岐郡、恵奈郡の十八郡から成る。


あの日本史有名人の老い方 死に方 新人物往来社 (編集)
ギャルバサラ 戦国時代は圏外です (KCG文庫) 飯山満 (著)
戦国武将のゴシップ記事 (PHP新書) 鈴木 眞哉 (著)
戦国武将の死亡診断書 酒井シヅ (監修)
戦国大名の通知表 八幡 和郎 (監修)
それは誤解だ戦国武将 (ナレッジエンタ読本22) 加来耕三+嶋健一郎 (著)
日本史有名人の子孫たち 新人物往来社
日めくり戦国史 きょうは何の日 淡野 史良 (著)


遠く南常陸の地にて土岐氏の再興
美濃国を追放された頼芸は、妹の嫁ぎ先である近江六角氏を頼り、
続いて遠く常陸国にいる実弟の土岐美作守治頼の常陸江戸崎城まで落ち延び、
系図及び家宝を治頼に譲渡し、土岐宗家を継承させている。

家督を譲り受けた治頼は、南常陸の地にて名門土岐氏の再興を図るべく奮戦するが、志半ばにして断念している。



戦国Check✓

近江国(おうみのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。別称は江州(ごうしゅう)。
領域はおおむね現在の滋賀県全域にあたる。
滋賀郡、栗太郡、甲賀郡、野洲郡、蒲生郡、神崎郡、愛知郡、犬上郡、高嶋郡、伊香郡、浅井郡、坂田郡の十二郡から成る。

六角氏(ろっかくし)
家系は宇多源氏佐々木氏の流れを汲み、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江南部を中心に栄えた。
近江源氏と呼ばれた佐々木氏の四家に分かれた家のうちの1つで、鎌倉時代より守護として南近江一帯を支配していた。
また足利将軍家の管領代となり、近江蒲生郡観音寺城を本拠として近江一帯に一大勢力を築き上げ、
伊賀や伊勢の一部までにも影響力をおよぼしたとされる。

常陸国(ひたちのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は常州(じょうしゅう)。
領域はおおむね現在の茨城県の大部分にあたる。
筑波郡、河内郡、信太郡、行方郡、鹿島郡、真壁郡、新治郡、茨城郡、那珂郡、久慈郡、多珂郡の十一郡から成る。

土岐 治頼(とき はるより)
戦国時代の武将。通称は源次郎。官位は美作守。常陸土岐家第五代当主。美濃国守護土岐政房の三男。
別名は大須三郎、土岐原治頼。
美濃国守護土岐政房の三男として生まれるが、南北朝末期に始まる庶流 原氏の家督を継承し、常陸江戸崎城主となる。
上杉氏に従って小田氏と度々争い、一時は居城江戸崎城を逐われるが、やがて回復し、さらに勢力を拡大した。

常陸江戸崎城(ひたちえどさきじょう)
常陸国信太郡江戸崎(現在の茨城県稲敷市江戸崎)にあった城。



頼芸の最後
その後頼芸一行は、上総国の同族 上総万喜城主土岐弾正小弼為頼を頼り、
後に甲斐武田氏に身を寄せることとなる。
この間に頼芸は眼病を患って失明し、剃髪して宗芸と称している。

兄弟、同族を頼り流浪の生活を送る頼芸であったが、
最後は旧臣であり、西美濃三人衆と称された稲葉伊予守良通のはからいで美濃国に戻り、
死去したといわれている。


墓は岐阜県揖斐川町の法雲寺にある。
戒名は「東春院殿文関宗藝大居士」
天正十年(1582年)十二月四日、享年八十一歳


戦国Check✓

上総国(かずさのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は総州(そうしゅう)。
領域はおおむね現在の千葉県中部にあたる。
天羽郡、周准郡、望陁郡、畔蒜郡、市原郡、海上郡、夷灊郡、埴生郡、長柄郡、山辺郡、武射郡の十一郡から成る。

上総万喜城(かずさまんぎじょう)
上総国夷灊郡万喜(現在の千葉県いすみ市万木)にあった城。

土岐 為頼(とき ためより)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は万喜少弼。官位は弾正小弼。上総土岐家第八代当主。
上総国の国人領主。上総万喜城主。
当初は里見氏に従い、里見義堯の後室に自分の娘を入れ、また斎藤道三に領国を追われた土岐宗家の美濃守護土岐頼芸を、
江戸崎城の土岐治頼より受け入れるなど、大きな勢力を有していたが、第二次国府台合戦での里見氏の敗北後は、
北条氏に寝返り、その後は一貫して北条氏に従って里見氏と戦った。

甲斐国(かいのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は甲州(こうしゅう)。
領域はおおむね現在の山梨県にあたる。
山梨郡、八代郡、巨摩郡、津留郡の四郡から成る。

武田氏(たけだし)
家系は清和源氏系河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏宗家。
家宝は御旗(後冷泉天皇から下賜された日章旗)、楯無(楯無の鎧。源頼義が御旗とともに授けられたという)。
河内源氏の棟梁 源頼義の三男 源義光の子 源義清が常陸国武田郷から甲斐国韮崎に配流されて武田氏を名乗ったのに始まる。
宗家の甲斐武田は、武田信玄の時代に戦国大名として隆盛を極めたが、信玄の死後は急速に勢力が衰え、
1582年に織田信長に攻めこまれて滅亡する。
しかし、信玄の次男 武田竜芳の曾孫 武田信興が、1700年に江戸幕府の幕臣となり高家として仕えた。

剃髪(ていはつ)
僧侶が出家するとき、俗世間を捨てて仏弟子になる心を表明するために髪をそり、円頂になること。

西美濃三人衆(にしみのさんにんしゅう)
戦国時代に美濃斎藤氏の有力な家臣だった稲葉良通、安藤守就、氏家直元を指した総称。単に美濃三人衆ともいう。

稲葉 良通(いなばよしみち)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は彦四郎、彦六郎。号は一鉄。官位は伊予守。美濃国曽根城主。
斎藤氏の重臣であり、氏家直元、安藤守就とともに美濃三人衆といわれた。
江戸幕府第三代将軍・徳川家光の乳母となり権勢を振るった春日局の外祖父にあたり、養祖父でもある。




芸術的天分に恵まれた武人画家 頼芸
土岐頼芸の描いた鷹の墨絵は現在でも残されており、その作品の美術的評価は高く、
「土岐の鷹」と呼ばれている。
雅号は洞文。
戦国という時代に生れなければ、この芸術的天分に恵まれた人物は、後世にもっと大きな名を残したことであろう。

土岐の鷹
土岐氏は、和歌、連歌、漢詩、猿楽及び絵画等、武芸に優れた人物が多く輩出されているという。
特に絵画の面では、土岐頼忠、土岐頼芸、土岐富景、土岐洞文及び土岐頼高等が挙げられ、
いずれも武人画家として評価され、共通の「鷹の図」を残している。
これらを総称して「土岐の鷹」と呼んでおり、土岐氏の代名詞とされている。



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次回 第三十話 仮名という名乗り ⇒




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Comments

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

Posted at 11:31:05 2012/07/18 by 職務履歴書の例

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