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尾張の虎 起死回生?それとも苦肉の策?

 【08//2014】

居城を移す



天文十五年(1546年)十一月
今川冶部大輔義元は三河国支配に本腰を入れるべく、
東三河で戸田氏と牧野氏が奪い合っていた三河今橋城を攻略。

三河今橋は鎌倉時代から鎌倉街道沿いに位置し、
戦国期には東三河の戦略拠点として発展した東海道主要都市の1つであった。

三河今橋攻略に成功した義元は、太原崇孚雪斎を城代とし、
「今橋」の地を「吉田」と改名し、駿河今川家の武威を国内外に示した。

また義元は、
伊勢湾交易の最大の要衝とされる、津島⇔渥美半島間の海上ルートの遮断にも成功することになる。

これにより津島⇔渥美半島間の海運業がストップし、
織田弾正忠信秀は経済的ダメージを受けることになった。

伊勢湾商業圏の争奪戦 参照 ⇒



戦国Check✓

三河今橋城(みかわいまばしじょう)
三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町豊橋公園内)にあった城。

今川 義元(いまがわ よしもと)
戦国時代の武将。駿河国及び遠江国の守護大名。官位は治部大輔。今川氏第十一代当主。
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
寄親、寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才能を発揮して
今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、
尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死した。

織田 信秀(おだ のぶひで)
戦国時代の武将。通称は三郎。官位は従五位下、弾正忠、備後守、三河守。
織田弾正忠家第三代当主。織田信長の父。
智勇に優れた武将であり、その豪勇は「尾張の虎」と称されて恐れられた。
また当時の経済流通拠点であった商業都市津島や熱田を支配下に組み込み、織田弾正忠家の礎を築いた。


この頃からか、
尾張の虎としてその武勇を轟かせた織田弾正忠信秀の勢いに陰りが見え始めた。


天文十六年(1547年)九月二十二日
美濃国主斎藤新九郎利政加納口の合戦で大敗する。

天文十六年(1547年)十月十九日
織田弾正忠信秀は伊勢湾交易の利権回復を狙い、三河岡崎城総攻撃の動きを見せるが、
今川義元の介入により不発。

しかし、松平次郎三郎広忠の嫡男 竹千代強奪に成功する。


天文十六年(1547年)十一月二十日
尾張下四郡を支配する尾張国守護代 織田大和守家当主織田大和守信友の家臣 坂井大膳らの
敵対行動により、織田家支城美濃大垣城を斎藤新九郎利政に攻略される。


これにより、尾張国内の一族との対立が激化する。


戦国Check✓

加納口の合戦(かのうぐちのかっせん)
天文十六年(1547年)九月二十二日に織田信秀(および朝倉孝景・土岐頼芸)と斎藤道三との間で起こった合戦である。
井ノ口の戦いとも言う。

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、
長井秀龍(新九郎)、斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

三河岡崎城(みかわおかざきじょう)
三河国額田郡岡崎(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった城。

松平 広忠(まつだいら ひろただ)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎、次郎三郎、三郎、岡崎三郎。
三河松平家第八代当主。徳川家康の父。官位は贈従二位大納言。
「守山崩れ」で老臣阿部定吉と共に伊勢、遠江へ逃れ、天文六年(1537年)、今川義元の支援により岡崎城への帰還を果たす。
以後、今川方部将として、尾張の織田信秀と戦うことになる。

尾張下四郡(おわりしもよんぐん)
尾張国海東郡、海西郡、愛知郡、知多郡(現在の愛知県名古屋市から知多半島)に及ぶ範囲。

守護代(しゅごだい)
鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職。
守護は、家臣の中から代官を任命して実際の政務を代行させた。
これが守護代である。
守護代も自らの代理人たる小守護代を置き、守護任国における土地支配構造はきわめて重層的であったといえる。

織田大和守家(おだやまとのかみけ)
尾張守護職・斯波氏の被官である織田氏の一族。
尾張八郡の内、下四郡を支配する守護代。別称は清洲織田氏。
元々は尾張守護代の「織田伊勢守家」の分家にてその代官である又守護代の地位にあったという。

織田 信友(おだ のぶとも)
戦国時代の武将。通称は彦五郎。官位は大和守。織田大和守家第八代当主。
別称は清洲織田氏。尾張下四郡守護代。尾張清洲城主。
主家である斯波氏当主 斯波義統を傀儡の守護として擁立するが、信友自身も家臣である坂井氏や河尻氏に
家中の主導権を握られていたようである。
また元々は家来筋であった清洲三奉行の一人、織田弾正忠家当主 織田信秀と尾張国の覇権をめぐって争った。

坂井 大膳(さかい だいぜん)
戦国時代の武将。諱は不詳。通称は大膳。官位は大膳亮。
織田大和守家臣。尾張小守護代、又守護代。
坂井甚助、河尻与一、織田三位らと共に清洲織田大和守家の実権を握っていた。

美濃大垣城(みのおおがきじょう)
美濃国安八郡牛屋村(現在の岐阜県大垣市郭町)にあった城。



この数ヶ月間で、織田弾正忠家は、危機的状況に陥(おちい)ることになった。

そこで信秀は、三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備えて、

居城を尾張古渡城から尾張末森城へ移し、

実弟織田孫三郎信光が守る尾張守山城と合わせて東方防御線を構築するのである。


戦国Check✓

尾張古渡城(おわりふるわたりじょう)
尾張国愛知郡古渡(現在の愛知県名古屋市中区)にあった城。

尾張末森城(おわりすえもりじょう)
尾張国愛知郡末森(現在の愛知県名古屋市千種区城山町)にあった城。

織田 信光(おだ のぶみつ)
戦国時代の武将。通称は孫三郎、法名は梅岩または梅厳。
織田信秀の弟で、織田信長の叔父にあたる。
武勇に優れ、兄信秀に従い武功を挙げ、小豆坂七本槍の一人として名を馳せた。
信秀の死後は、家督を継いだ甥の信長をよく補佐した。

尾張守山城(おわりもりやまじょう)
尾張国春日井郡守山(現在の愛知県名古屋市守山区市場)にあった城。

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The Quest For History 戦国武将 完全ビジュアルガイド レッカ社 (編集)
最強の英傑たちに学ぶ 勝ちの掟 津本 陽 (著)
戦国激女100人伝 乱世を駆け抜けたすごい美女がいた 鶴岡伸寿 (著)
「戦国武将」がよくわかる本 猛将・婆娑羅(ばさら)武将編  株式会社レッカ社
戦国武将のゴシップ記事 (PHP新書) 鈴木 眞哉 (著)
戦国武将の死亡診断書 酒井シヅ (監修)
それは誤解だ戦国武将 (ナレッジエンタ読本22) 加来耕三+嶋健一郎 (著)



次回 第三十四話 続けざまの敗戦 ⇒




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