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その無念たるや想像するに余りある

 【30//2015】

並々ならぬ器量



天文二十二年(1553年)四月十八日
尾張富田の聖徳寺で、斎藤山城守道三織田上総介信長の会見がおこなわれた。

織田弾正忠家当主である信長は、
茶筅の髪に湯帷子の袖をはずし、大小は差していたものの荒縄で腰に巻き、
芋縄を腕輪にし、腰には猿使いのように火打ち袋や、瓢箪を七つ八つぶらさげ、下は虎革と豹革の半袴という
いつものうつけ姿で会見の場に現れた。


しかし、斎藤山城守道三の前に現れた信長は、
うつけ姿ではなく、髪はきちんと折髷(おりまげ)にし、
袴は長袴を履き、貴公子とした様子で会見に臨んだという。


戦国Check✓

尾張国(おわりのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は尾州(びしゅう)。
領域はおおむね現在の愛知県西部にあたる。
智多郡、愛智郡、春日井郡、丹羽郡、葉栗郡、中嶋郡、海東郡、海西郡の八郡から成る。

聖徳寺(しょうとくじ)
尾張国中島郡冨田村(現在の愛知県一宮市)にあった真宗大谷派の寺院。山号は七宝山。
天文二十二年、織田信長と斎藤道三がこの寺で会ったことで知られる。
鎌倉時代後期の寛喜年間、閑善の開山により尾張国大浦(現在の岐阜県羽島市)に創建された寺で、
その後尾張国冨田村、清洲などを転々とし、寛永年間に現在の名古屋市中区錦三丁目に移ったが、
最近現在の名古屋市天白区に移転した。

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)、
斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

織田弾正忠家(おだだんじょうのちゅうけ)
尾張国守護代、清洲織田氏(大和守家)に仕える清洲三奉行家の一つ。
弾正忠家の元々の系譜は定かではないが、当時の守護代である織田常松の家臣に織田弾正なる人物がいたことが
分かっており、その子孫がのちの清洲三奉行の一家である弾正忠家と推測されている。
①織田良信②織田信定③織田信秀④織田信長⑤織田信忠⑥織田秀信

茶筅(ちゃせん)
茶道において抹茶をたてるのに使用する茶道具のひとつ。
湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させるための道具。

湯帷子(ゆかたびら)
入浴の際、または入浴後に着た、麻や木綿の単(ひとえ)。湯具。ゆかた。

うつけ
もともと「からっぽ」という意味であり、ぼんやりとした人物や暗愚な人物、常識にはずれた人物をさす。
うつけ者ともいう。字は「空」「虚」「躻」。
実際に暗愚な人物がうつけと呼ばれるというよりも、奇矯なふるまいなどにより「うつけ」と呼ばれるだけで、
実際には暗愚なわけではない場合が多い。

折髷(おりまげ)
束ねた髪を立てずに折りまげて結ったまげ。


完訳フロイス 日本史1~12
将軍義輝の最期および自由都市堺
信長とフロイス
安土城と本能寺の変

秀吉の天下統一と高山右近の追放
「暴君」秀吉の野望

ザビエル来日と初期の布教活動
宗麟の改宗と島津侵攻
宗麟の死と嫡子吉統の背教

島原・五島・天草・長崎布教の苦難
大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗
黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国
キリシタン弾圧と信仰の決意






信長公記によると、

寄宿の寺へ御着きにて、屏風引き廻し、

一、御ぐし折り曲に、一世の始めにゆわせられ、

一、何染置かれ侯知人なきかちの長袴めし、

一、ちいさ刀、是れも人に知らせず拵(こしら)えをかせられ侯を、さゝせられ、御出立を、御家中の衆見申し侯て、

さては、此の比たわけを態と御作り侯よと、肝を消(つぶ)し、各次第貼に斟酌(しんしゃく)仕(つかまつ)り侯なり




信長は寺に着くなり、四方に屏風(びょうぶ)をめぐらせ、その中で髪を整え、いつの間にか用意した長袴をはき、
これもいつの間にか作らせていた見事な拵(こしら)えの小刀を差した。

家臣の者どもは、この姿を見て、「日頃のうつけぶりはわざと作っていたものであったか」と肝を潰し、
次第に信長のことを見直すようになっていたという。



暫く侯て、屏風を推しのけて道三出でられ侯。

叉、是れも知らぬかほにて御座侯を、堀田遣空さしより、是れぞ山城殿にて御座侯と、申す時、

であるかと、仰せられ侯て、

敷居より内へ御入り侯て、道三に御礼ありて、其のまゝ御座敷に御直り侯ひしなり。


さて、道空御湯付を上げ申し侯。

互に御盃参り、道三に御対面、残る所なき御仕合なり。

附子をかみたる風情にて、叉、やがて参会すべしと申し、罷り立ち侯なり。



古風の儀礼にのっとった貴公子姿の信長は、八百人の斎藤家臣が、肩衣、袴姿で挨拶するのを知らぬ顔をして通り抜け、
会見の場である一室で待った。
しばらくして、道三もまた、知らぬ顔をしてあらわれ端座(たんざ)した。




山城守道三は、美濃五十四万石の太守である。
しかし、信長は、道三を恐れはばかるどころか、まったく動揺の色を見せなかった。

見かねた堀田道空が脇から、「山城殿にござる」と声を出した。
すると信長は、「であるか」とのみ答え、敷居の内に入り、道三に挨拶を述べた。

斎藤家宿老である堀田道空は、津島に居館を構えており、信長の亡父織田弾正忠信秀とは
昵懇(じっこん)の間柄であったため、接待役をかってでていたが気が気ではなかった。

互いに盃を酌み交わし、表情一つ動かさない、その若き当主信長に、道三は圧倒されていた。
道三は、苦虫(にがむし)を噛み潰したような顔で別れの口上(こうじょう)を述べた。


戦国Check✓

信長公記(しんちょうこうき または のぶながこうき)
安土桃山時代の戦国大名織田信長の一代記。著者は太田牛一。
信長の幼少時代から信長が足利義昭を奉じて上洛した永禄十一年(1568年)までを首巻とし、
上洛から本能寺の変が起きた天正十年(1582年)の記録が全十六巻にまとめられている。

端座(たんざ)
姿勢を正して座ること。正座。

堀田 道空(ほった どうくう)
戦国時代から安土桃山時代の武将。
早くから斎藤道三に仕え、天文二十二年(1553年)道三と織田信長が尾張正徳寺で会見した際、
道三に随行したことが知られている。
道三死後は、その後継義龍、龍興に仕えるが、永禄十年(1567年)信長によって美濃稲葉山城が攻略されると、
信長の家臣豊臣秀吉に仕え、元和元年(1615年)大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した際、これに殉じた。






信長は、沿道で道三が見ているであろうことは予測していたのである。
八百人もの重臣に正装をさせ、美濃の国力を見せつけようとした道三に対し、圧倒的な軍事力を見せつけた信長。
そして、尾張のうつけ者を見たいという道三の望みをも叶えてやったのである。

また信長は、虚勢を張るところがなく、言葉にも無駄が無かった。
刃物のように研ぎすまされた神経が、動作にまで現れており、四隣を脅かす謀将になるのは眼にみえていた。
それが解った道三は、若き信長に圧倒され、魅了されてしまっていた。


信長公記にはこんな文面が続く、
「猪子兵介、山城道三に申す様は、何と見申し侯ても、上総介はたわけにて侯。

と申し侯時、道三申す様に、されば無念なる事に侯。

山城が子供、たわけが門外に馬を繋べき事、案の内にて侯と計り申し侯。

今より已後、道三が前にて、たわけ人と云ふ事、申す人これなし。」



稲葉山へ帰る道中、家臣の猪子兵助高就が、
「どうみても、上総介はたわけでござりました」といったところ、道三は吐き捨てるかのように、

「無念である。わが子どもは、かならずやそのたわけの門前に馬をつなぐことになろう。」とのみ答えたという。

道三は、短い会見の席で、信長の並々ならぬ器量を見抜いたのである。


戦国Check✓

美濃稲葉山城(みのいなばやまじょう)
美濃国厚見郡井口(現在の岐阜県岐阜市金華山)にあった城。

猪子 高就(いのこ たかなり)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は兵助。斎藤家、織田家 家臣。
斎藤道三に側近として仕え、正徳寺の会見の際、ひそかに織田信長を観察する道三の側に控えていたという。
道三死後は信長に仕え、罪人糾明・検使などを務めた。
信長側近として信長配下の軍団長格の武将との仲介連絡役として活躍し、
吉田兼見(兼和)も度々贈答品を送るなどしている。
天正十年、本能寺の変にて織田信忠とともに二条城に篭り討死。



次回 第五十二話 クーデター ⇒




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Comments

とても面白い記事でした。

続きは書かないのでしょうか?

Posted at 00:53:21 2014/01/17 by

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