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人をその気にさせる「ゆさぶり力」を紹介

 【05//2014】

密約



天文二十二年(1553年)七月十八日
織田弾正忠家 侍大将柴田権六勝家が、清洲に攻撃をしかけ、
清洲勢の河尻左馬丞与一、織田三位、など三十騎余りが討死している。

この合戦で、織田大和守家の行く末に不安を覚えた坂井大膳は、
こともあろうに信長の叔父である織田孫三郎信光に接近し、友好を求めるのである。


戦国Check✓

織田弾正忠家(おだだんじょうのちゅうけ)
尾張国守護代、清洲織田氏(大和守家)に仕える清洲三奉行家の一つ。
弾正忠家の元々の系譜は定かではないが、室町時代、当時の守護代である織田常松の家臣に織田弾正なる人物がいたことが
分かっており、その子孫がのちの清洲三奉行の一家である弾正忠家と推測されている。
①織田良信②織田信定③織田信秀④織田信長⑤織田信忠⑥織田秀信

侍大将(さむらいだいしょう)
侍を預かり各種足軽(弓・鉄砲・槍)隊、騎馬武者隊、小荷駄隊などを指揮する者。
戦国時代には総大将の次席、足軽大将の上席にあって、戦国大名の軍制において主要な役割を果たした。
著名な侍大将に西国の戦国大名 大内義隆の家臣で周防国守護代 陶晴賢がおり、西国無双の侍大将と称された。

柴田 勝家(しばた かついえ)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は権六郎、権六。官位は左京大進、修理亮。
はじめ織田信行、ついで信長に仕えて戦功をたて、越前北庄城主となる。
本能寺の変後、信長の後嗣(こうし)をめぐり羽柴秀吉と対立。
賤ケ岳の戦いに敗れ、妻お市の方(信長の妹)とともに天正十一年自刃(じじん)。

尾張清洲城(おわりきよすじょう)
尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった城。

河尻 与一(かわじり よいち)
戦国時代の武将。通称は左馬丞。織田大和守家臣。
坂井大膳、坂井甚助、織田三位らと共に清洲織田大和守家の実権を握っていた。

織田三位(おだ さんみ)
戦国時代の武将。諱は不詳。通称は三位。織田大和守家臣。
坂井大膳、坂井甚助、河尻与一らと共に清洲織田大和守家の実権を握っていた。

織田大和守家(おだやまとのかみけ)
尾張守護職・斯波氏の被官である織田氏の一族。
尾張八郡の内、下四郡を支配する守護代。別称は清洲織田氏。
元々は尾張守護代の「織田伊勢守家」の分家にてその代官である又守護代の地位にあったという。

坂井 大膳(さかい だいぜん)
戦国時代の武将。諱は不詳。通称は大膳。官位は大膳亮。
織田大和守家臣。尾張小守護代、又守護代。
坂井甚助、河尻与一、織田三位らと共に清洲織田大和守家の実権を握っていた。

織田 信光(おだ のぶみつ)
戦国時代の武将。通称は孫三郎、法名は梅岩または梅厳。
織田信秀の弟で、織田信長の叔父にあたる。
武勇に優れ、兄信秀に従い武功を挙げ、小豆坂七本槍の一人として名を馳せた。
信秀の死後は、家督を継いだ甥の信長をよく補佐した。

史跡女子の旅 学研ムック 武蔵守歴女会 (編集)
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 戸部 良一 (著)
集中講義 織田信長 
諸家評定―戦国武士の「武士道」 小笠原 昨雲 (著)
諸国の合戦争乱地図 東日本編―古地図と年表でみる 谷口 研語 (著)



「清洲の城守護代、織田彦五郎殿とてこれあり、領在の坂井大膳は小守護代なり。

坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位、歴々討死にて、大膳一人しては抱えがたきの間、此の上は織田孫三郎殿を憑み入るの間、

力を添へ侯て、彦五郎殿と孫三郎殿、両守護代に御成り侯へと、懇望申され侯のところ、坂井大膳好みの如くとて、

表裏あるまじきの旨、七枚起請を大膳かたへつかはし、相調へ侯。」



ゆさぶり
「清洲城に入り、大和守家当主 彦五郎信友殿と並んで守護代を務めてもらえないでしょうか」
坂井大膳は、この劣勢を挽回する為、尾張守山城主 織田孫三郎信光を味方につけ、信長と信光を分断しようとする作戦にでた。



信光からすれば、主家は弾正忠家であり、主君は信長である。
その信長の主君である大和守信友から、同格扱いで守護代就任の話が舞い込んで来た。
信光は、坂井大膳が出した条件にあっさりと承諾し、清洲城内へ移った。


坂井大膳の作戦が成功したかに見えたが、信長と信光は実は通じており、
城内に信光を送り込むことによって内から清洲城を攻め取ろうという謀略(ぼうりゃく)であった。


戦国Check✓

織田 信友(おだ のぶとも)
戦国時代の武将。通称は彦五郎。官位は大和守。織田大和守家第八代当主。
別称は清洲織田氏。尾張下四郡守護代。尾張清洲城主。
主家である斯波氏当主 斯波義統を傀儡の守護として擁立するが、信友自身も家臣である坂井氏や河尻氏に
家中の主導権を握られていたようである。
また元々は家来筋であった清洲三奉行の一人、織田弾正忠家当主 織田信秀と尾張国の覇権をめぐって争った。

守護代(しゅごだい)
鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職。
守護は、家臣の中から代官を任命して実際の政務を代行させた。
これが守護代である。
守護代も自らの代理人たる小守護代を置き、守護任国における土地支配構造はきわめて重層的であったといえる。

謀略(ぼうりゃく)
人を陥れるためのはかりごと。




守護の下に守護代、そのまた下に小守護代と、守護任国における土地支配構造はきわめて重層的であった。

しかし、戦国の世になると、守護代が戦国大名化していき、守護に代わって実質的統治者となっていく。
また、荘園の崩壊によるの発達によって、在地土豪や国人層の社会的地位が上昇し、諸国で紛争が発生すると、
領国を一元的に支配する傾向が顕著になり、戦国大名が成長し、守護大名とともに守護代は消滅していくことになる。


信長と信光の清洲城奪取の計画が、信長公記に記されている。

「守山の織田孫三郎殿、清洲の城南矢蔵へ御移り、表向は此の如くにて、ないしんは信長と仰せ談ぜられ、清洲を宥め、

取り進めらるべきの間、尾州下郡四郡の内に、於多井川とて、大かたは此の川を限つての事なり。

孫三郎殿へ渡し参らせられ侯へと、御約諾の抜公事なり。

此の孫三郎殿と申すは、信長の伯父にて侯。

川西・川東と云ふは、尾張半国の内、下郡二郡、二郡ツヽとの約束にて侯なり。」


信長は信光に、この作戦が成功したあかつきには、尾張下四郡のうち二郡割譲(かつじょう)を約束していた。


戦国Check✓

荘園(しょうえん)
公的支配を受けない(あるいは公的支配を極力制限した)一定規模以上の私的所有地。

(そう)
百姓の自治的、地縁的結合による共同組織(村落形態)を指す。惣村(そうそん)。

国人(こくじん)
主に鎌倉時代の地頭層から発し、南北朝時代から室町時代にかけて諸国の開発に推進した武士層のこと。
国人領主。国衆(くにしゅう)、国人衆。

尾張下四郡(おわりしもよんぐん)
尾張国海東郡、海西郡、愛知郡、知多郡(現在の愛知県名古屋市から知多半島)に及ぶ範囲。




次回 第五十六話 反古された密約 ⇒




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