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城も領地も・・そして我が子までも・・・・・

 【05//2014】

東三河侵攻



天文十四年(1545年)十月二十四日

北条左京大夫氏康との和睦(わぼく)が成立し、領国を脅かす不安材料が無くなった今川治部大輔義元は、
東三河侵攻を開始する。

義元は、軍師である太原崇孚雪斎に三河の敵対勢力の一掃を命じた。

戦国Check✓

東三河(ひがしみかわ)
令制国の三河国の東半分で、豊川流域および渥美半島で、遠州灘に面する地域である。

太原 崇孚 雪斎(たいげん そうふ せっさい)
戦国時代の武将、軍師、臨済宗僧侶。駿河今川家臣。
今川義元の軍師として緒戦において手腕を発揮する。
また外交面でも、今川氏の政治顧問として駿甲相三国同盟などで活躍し、今川氏の発展に大きく寄与した人物。



天文十五年(1546年)十一月十五日

太原崇孚雪斎は東三河に侵攻し、戸田金七郎宣成の三河今橋城を攻撃。

今橋城陥落の報せを受けた義元は、東三河侵攻の拠点として雪斎をそのまま城代として入城させた。

同じ頃、尾張国の織田弾正忠信秀もまた、三河の敵対勢力を一掃するべく西三河侵攻を進めていた。


戦国Check✓

戸田 宣成(とだ のぶなり)
戦国時代の武将。通称は金七郎、橘七郎、三郎兵衛尉。三河今橋城主。
三河国渥美郡大崎郷を領した、渥美郡田原城主 戸田弾正忠憲光の次男。
天文六年 今橋城主牧野田兵衛尉成敏を退けて宣成が城主となる。
これにより、戸田氏は渥美郡に田原城、二連木城を有していたものに宣成の今橋城を加えて、
渥美郡の要部(現在の豊橋市)を天文十年までにはほぼ制圧した。

三河今橋城(みかわいまばしじょう)
三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町豊橋公園内)にあった城。

織田 信秀(おだ のぶひで)
戦国時代の武将。通称は三郎。官位は従五位下、弾正忠、備後守、三河守。
織田弾正忠家第三代当主。織田信長の父。
智勇に優れた武将であり、その豪勇は「尾張の虎」と称されて恐れられた。
また当時の経済流通拠点であった商業都市津島や熱田を支配下に組み込み、織田弾正忠家の礎を築いた。

西三河(にしみかわ)
令制国の三河国の西半分で、矢作川流域の碧海郡、幡豆郡、額田郡、加茂郡から成る地方である。


当時、三河国を治めていた松平次郎三郎広忠は、
父・清康が天文四年(1535年)守山崩れにより家臣に斬殺されて以来、同族間の内部抗争が激化し、
織田弾正忠家の三河侵攻に抵抗する力は無く、今川家の庇護がなければ領国を維持することが出来ない状態であった。



天文十六年(1547年)十月十九日

松平三左衛門忠倫謀反の報せを聞いた広忠は、義元に援軍を要請。

援軍要請に了承した義元は、
我ら今川に後詰めを請うのであれば、忠義の証しとして嫡男竹千代を質に寄こすべし
広忠の嫡男竹千代を人質として要求する。


戦国Check✓

松平 広忠(まつだいら ひろただ)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎、次郎三郎、三郎、岡崎三郎。
三河松平家第八代当主。徳川家康の父。官位は贈従二位大納言。
「守山崩れ」で老臣阿部定吉と共に伊勢、遠江へ逃れ、
天文六年(1537年)、今川義元の支援により岡崎城への帰還を果たす。
以後、今川方部将として、尾張の織田信秀と戦うことになる。

松平 清康(まつだいら きよやす)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎。三河松平家第七代当主。徳川家康の祖父。
安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族、家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。

守山崩れ(もりやまくずれ)
天文四年(1535年)十二月五日早朝に、三河国岡崎城主松平清康が、尾張国春日井郡守山の陣中において、
家臣の阿部正豊に暗殺された事件。

松平 忠倫(まつだいら ただとも)
戦国時代の武将。通称は三左衛門。松平清康の弟。松平広忠の叔父。三河佐々木城主。
松平宗家に反抗し続けた人物ではあるが資料が残されておらず、謎の多い人物。


この条件を承諾せざるを得なかった広忠は、岳父である三河田原城の戸田弾正少弼康光に、
竹千代を駿府へ護送するよう命じた。

しかし、護送の任に就いた戸田康光は、事もあろうに敵対している尾張国の織田弾正忠家へ、
永楽銭千貫文で、竹千代を売り渡してしまったのである。

竹千代を人質に取った信秀は、使者を遣わし広忠に織田方へ寝返るよう要求するが、
広忠はそれに屈することはなかった。


戦国Check✓

三河田原城(みかわたはらじょう)
三河国渥美郡田原(現在の愛知県田原市田原町巴江)にあった城。

戸田 康光(とだ やすみつ)
戦国時代の武将。通称は孫四郎。官位は弾正少弼。三河田原城主。
三河国渥美郡大崎郷を領した、渥美郡田原城主 戸田弾正忠憲光の嫡孫。
田原城を根拠に渥美半島、三河湾一帯に勢力を振るった。
初名は渥美半島統一をなした曽祖父宗光にあやかり、宗光と名乗るが、松平清康に従属して、
偏諱を受けて康光と改める。

駿府(すんぷ)
駿河国の国府が置かれた都市 駿河国府中(現在の静岡県静岡市駿河区)の略。

永楽銭(えいらくせん)
中国、明朝第三代皇帝・永楽帝の時代に鋳造された銅銭。
表面に「永楽通宝」の文字があり、室町時代に輸入され、江戸初期まで盛んに流通したが、1608年禁止された。


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次回 第七十五話 藤原南家の一族 ⇒



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