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組織における補佐役の重要性を改めて評価する

 【17//2016】

偉大なる名軍師



弘治元年(1555年)十月十日
駿河今川家の政治・軍事・外交で今川治部大輔義元を補佐した太原崇孚雪斎が死去する。
享年六十歳。

雪斎の死は、今川家に大きなショックを与えたに違いない。
政治と軍事全ての事を取り仕切り「智謀神の如し」と、近隣諸国にまでその名を轟かせていた、
戦国期最強の名軍師 太原崇孚雪斎の死は駿河今川家の衰退を暗示していた。



軍師(ぐんし)

戦略戦術陰陽術などを駆使し、合戦や外交交渉まで行ったのが軍師である。

軍師は軍中において、軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける職務を務める者のことである。
このような職務を務める者は、東アジアにおいては古代から軍中にみられたが、
ヨーロッパでは近代的な軍制において参謀制度が確立するまで制度としては存在しなかった。
知将策士などとも言われる。

「軍師」は後世のイメージによって創作された部分が大きく、実際に軍事にのみ助言する軍師という存在は
「三国志演義」「水滸伝」あるいは日本の戦国時代を基に作られた軍記物などの創作の世界にのみ登場する
幻想の存在とする考え方もある。

軍師と聞いてまず最初に思い描くのが、
三国志の天才軍師 諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)である。
伏龍、臥龍とも呼ばれ、蜀の建国者である劉備(りゅうび)の創業を助け、
その子の劉禅(りゅうぜん)の丞相(じょうしょう)として補佐した人物である。

軍師の代表例とも言える諸葛亮孔明であっても、政治・軍事の枠を超えて、
のほとんどの分野に関わった人物であった。


戦国Check✓

太原 崇孚 雪斎(たいげん そうふ せっさい)
戦国時代の武将、軍師、臨済宗僧侶。駿河今川家臣。
今川義元の軍師として緒戦において手腕を発揮する。
また外交面でも、今川氏の政治顧問として駿甲相三国同盟などで活躍し、今川氏の発展に大きく寄与した人物。

参謀(さんぼう)
軍隊などの軍事組織において高級指揮官の幕僚として、作戦・用兵などに関して計画、指導にあたる将校の役職。

諸葛亮 孔明(しょかつりょう こうめい)
中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。
司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。
蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。
今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。

(しょく)
中国の三国時代に劉備が巴蜀の地(益州)に建てた国。
蜀は魏、呉と共に三国時代を形成した一国である。
巴蜀(現在の四川省・湖北省一帯)を領土とし、成都を都に定めた。
実際には魏の文帝曹丕が後漢を滅ぼして即位した時に、漢の正統を継ぐものとしたため、漢が正式な国号である。
蜀あるいは蜀漢という呼称は、後世の人々が統一王朝であった漢との区別のため便宜上つけたものである。

劉 備(りゅう び)
後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。蜀の初代皇帝。
黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。
諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。
その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。
明代の小説「三国志演義」でも中心人物として登場する。

丞相(じょうしょう)
古代中国の戦国時代、秦王朝、漢王朝において、君主を補佐した最高位の官吏を指す。
今日における、元首が政務を総攬する国(大統領制の国や君主が任意に政府要職者を任命できる国)の首相に相当する。
古代中国では、丞相が2名置かれることがしばしばあった。
この場合「右丞相」「左丞相」と呼ばれ、王朝によってその上下関係に違いがあるものの、
一方が正宰相、残る一方が副宰相となった。
なお、宦官がこの官職に就く場合は、中人(宦官)の丞相ということで「中丞相」と呼ばれた。





補佐
劉備劉禅親子の右腕として特殊な技術知恵を駆使しながら、親子を補佐した諸葛亮孔明の様に、
戦国時代にも多くの名軍師がその策を競い合い戦国大名を補佐している。



武田大膳大夫晴信の伝説的軍師として武田二十四将の一人にも数えられた山本勘助晴幸

羽柴筑前守秀吉に天下を獲らせた竹中半兵衛重治黒田官兵衛孝高

戦略、戦術に長け策士として名を轟かせた真田安房守昌幸

毛利治部少輔元就や甥の毛利右馬頭輝元を支えた小早川左衛門佐隆景

石田治部少輔三成に過ぎたるものとまで謳わせた島左近清興

独眼竜の補佐役として伊達藤次郎政宗に仕えた片倉小十郎景綱

上杉弾正少弼景勝の側近として義を貫いた直江山城守兼続

羽柴筑前守秀吉の影の存在として活躍した羽柴小一郎秀長など、名軍師と呼ばれる人物は数多くいる。



その数多くいる名軍師の中で1、2を争う人物が、
駿河今川家の発展と繁栄に大きく関わり、黒衣の宰相(こくいのさいしょう)の異名を持った
名軍師太原崇孚雪斎である。

雪斎の最も大きな活躍としては、甲斐武田氏、相模北条氏と結んだ甲相駿三国同盟である。
三国同盟を結んだことで武田・北条・今川はそれぞれの勢力拡大に集中できるようになった。

また三河岡崎城主松平次郎三郎広忠が暗殺されると、すぐさま西三河の安祥城を取り囲み、
城主織田三郎五郎信広を捕らえ、織田方に人質となっている広忠の嫡子竹千代との人質交換を成功させ、
三河松平氏を今川家の支配下に入れるなど、今川家の発展繁栄の背後には、間違いなく雪斎の存在があった。



資質
補佐役(ナンバー2)の一般的な仕事は、情報の収集から始まり、収集した情報の分析
分析の結果からの問題定義、そして問題定義の解決策である。
トップはこれらを判断し決定する。

トップの仕事が決断なら、補佐役の仕事は残り全てであるといわれている。

だが補佐役が力を発揮しすぎて表に現れてはいけない。
このパターンは国が滅びる危険性を多く含んでいるからだ。

補佐役はあくまでも戦略を立案するまでであり、
「これをやりましょう」と踏み込んだ発言をしないことが重要である。
さらには「あれはオレがやった仕事」などと言うのは論外である。
もっと言えば、「私は補佐役(ナンバー2)である」という存在を明確にするのではなく、
あくまでも現場にいる全組織の一員として、自らの役割をこなすという意識が必要なのである。

上記の事から考えると羽柴小一郎秀長などはまさに名補佐役であるといえるのではないか。
数多くの武功を立て、天下統一をめざす兄藤吉郎秀吉を支えたが、五十二歳で亡くなるまで、
自らの功績をけっして誇ることはなかったという。




戦国Check✓

甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)
天文二十三年(1554年)に結ばれた、日本の戦国時代における和平協定のひとつである。
甲相駿はそれぞれ甲斐・相模・駿河を指し、この時それぞれを治めていた武田信玄・北条氏康・今川義元の
三者の合意によるもの。
締結時に三者が会合したという伝説(後述)から善徳寺の会盟(ぜんとくじのかいめい)とも呼ばれている。

松平 広忠(まつだいら ひろただ)
戦国時代の武将。通称は二郎三郎、次郎三郎、三郎、岡崎三郎。
三河松平家第八代当主。徳川家康の父。官位は贈従二位大納言。
「守山崩れ」で老臣阿部定吉と共に伊勢、遠江へ逃れ、
天文六年(1537年)、今川義元の支援により岡崎城への帰還を果たす。
以後、今川方部将として、尾張の織田信秀と戦うことになる。

織田 信広(おだ のぶひろ)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は三郎五郎。官位は大隈守。
織田信秀の子。織田信長の異母兄。
信秀の長男であるが、生母が側室ということから織田弾正忠家の一族(家臣)扱いであった。
異母弟信長に仕え、上洛後は京都で室町幕府との連絡役をつとめる。
天正二年(1574年)九月二十九日長島一向一揆鎮圧の際、討死。

おススメの本
松平家の謎
松平三代記 清康・広忠・家康、三河から天下へ
真似てみたい 武士の妻の作法
三日月竜異聞~伊達政宗嚆矢
三河物語 原本現代訳
三河物語―マンガ日本の古典
水の城―いまだ落城せず



今川家最強の布陣
雪斎は、軍略にも秀でており、義元に代わり一軍を率い戦場に赴くことも度々あった。

義元が領国を守り、雪斎が今川軍団を統率する

もし仮に雪斎が健在であれば、もしかすれば今川軍団を率いて桶狭間に向かったのは雪斎であり、
義元は領国を守っていたのかも知れない。
義元が若くして家督を嫡男上総介氏真に譲ったのも、雪斎の死が原因だったものと思われる。




次回 第八十三話 智慧の鏡 ⇒



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