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現在の状況を未来永劫存続させようとする習い

 【05//2014】

智慧の鏡



天文二十三年(1554年)
斎藤山城守利政は、斎藤新九郎義龍に家督を譲り、自らは隠居して道三入道と称していた。

美濃斎藤家の家督を継承した新九郎義龍は、前国主である土岐左京大夫頼芸の子であるとの噂もあり、
道三と義龍は微妙な間柄であった。

また道三には新九郎義龍の他に、正室の子である次男孫四郎龍重と、三男喜平次龍定という息子もおり、
この事がより一層、道三と義龍を微妙な関係にしていたのである。


戦国Check✓

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)
斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家第二代当主。美濃一色家初代当主。
室町幕府相伴衆。
斎藤道三の嫡男だが、美濃守護土岐頼芸の子との説もある。
父道三が家督を弟に譲ろうとしたことから先手をとって弟たちを殺害、さらに道三と長良川に戦いこれを敗死させる。
その後、美濃侵攻をもくろむ信長と戦ったが、病没した。

美濃国(みののくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。別称は濃州(のうしゅう)。
領域はおおむね現在の岐阜県の南部。
多藝郡、石津郡、不破郡、安八郡、池田郡、大野郡、本巣郡、席田郡、方県郡、厚見郡、各務郡、山県郡、武藝郡、
郡上郡、加茂郡、可児郡、土岐郡、恵奈郡の十八郡から成る。

土岐 頼芸(とき よりあき)
戦国時代の武将。官位は左京大夫、美濃守。美濃守護。美濃土岐家第十五代当主。
斎藤道三に擁立され、兄土岐頼純を越前に追放し、美濃守護となる。
天文二十一年、道三とあらそって敗れ、のち尾張の織田信長をたよったとされる。
鷹の絵が得意で、土岐洞文と同一人物との説もある。

斎藤 龍重(さいとう たつしげ)
戦国時代の武将。通称は孫四郎。官位は右京亮、雅楽助。美濃国主 斎藤山城守道三の次男。
父斎藤道三から寵愛を受けるが、謀反を起こした兄斎藤義龍により謀殺される。

斎藤 龍定(さいとう たつさだ)
戦国時代の武将。通称は喜平次。官位は玄蕃。美濃国主 斎藤山城守道三の三男。
父斎藤道三から寵愛を受けるが、謀反を起こした兄斎藤義龍により謀殺される。



この頃の道三は以前の梟雄と謳われていた頃の「蝮の道三」では無かった。
信長公記によると、

「惣別、人の総領たる者は、必ずしも心が緩貼として、穏当なるものに侯。道三は智慧の鏡も曇り、

新九郎は耄者と計り心得て、弟二人を利口の者哉と崇敬して、三男喜平次を一色右兵衛大輔になし、

居ながら、官を進められ、ケ様に侯間、弟ども勝ちに乗つて著り、蔑如に持ち扱ひ侯。」



一家の棟梁という者は、次第に心が緩みがちになるものである。
道三もまた例外では無く、智慧(ちえ)の鏡も曇り、事の道理を正しく判断する事が出来なくなっていた。


存続
「智慧」とは、物事の道理を判断し処理していく心の動きや、ものごとをありのままに把握し、
真理を見極める認識力である。

「智慧」というのは「道理に関する知識」を前提としているということになる。

ここで言う「道理」とは、「種(家名)を残すための正しい選択(目的)」のことを指し、
人間は、種の保存のための「知識」を必要とする。

つまり、棟梁と呼ばれた権力者の究極の目的は家名の存続とその繁栄であった。

武家社会における家督相続者は、
先代から受けついだ「家」およびその「家臣」の生活保持と繁栄をめざすとともに、
その「家業」「家産」「家名」「家格」を未来永劫存続させようとする慣習文化を持っていた。

そのために、できうる限りの最善の手を打つことが棟梁には必要なことであったが、
道三は弟二人を溺愛するあまり、嫡子である義龍を愚人(ぐにん)と見誤り、
こともあろうに三男喜平次龍定の官を進め、一色右兵衛太輔と名乗らせている。
この道三の立ち振る舞いにより、二人の弟たちは奢(おご)り、新当主である兄の新九郎義龍を見下すようになっていた。

戦国Check✓

梟雄(きょうゆう)
残忍で強く荒々しいこと。また、その人。悪者などの首領にいう。
戦国三大梟雄として、「北条早雲」「斎藤道三」「松永久秀」を主に指す。

智慧の鏡(ちえのかがみ)
知恵がすぐれて明らかなことを、鏡にたとえていう語。
「知恵の鏡も曇る」の形で、正常な判断ができなくなることをいう。

棟梁(とうりょう)
棟と梁は建物の最も高い部分にあり、かつ重要な部分であるため、転じて国家などの組織の重要な人物を指し、
また「頭領」・「統領」という表記も用いられた。
武家の棟梁(ぶけのとうりょう)とは、武家の統率者のことを指す。



美濃斎藤家第二代当主となった新九郎義龍であったが、先代である父道三は、二人の弟を溺愛し、
またその弟達は兄であり、斎藤家当主である義龍を軽視している。

「この状況を家臣達はどう見ているのか」

「当主である自分はどうするべきなのか」

若き当主 義龍は、悩み苦しみ、そして病にかかり奥に引きこもるのである。



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次回 第八十四話 新たな蝮・誕生 ⇒



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