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軍事介入ではなく和平交渉を

 【05//2014】

信長と義元の和平会見



弘治元年(1555年)
尾張下四郡の支配者となった織田上総介信長は、尾張清洲城に居城を移している。



清洲
応永十二年(1405年)
越前 尾張 遠江 加賀 信濃守護であった管領の斯波左兵衛佐義重によって尾張守護所である
尾張下津城の別邸として築城されるが、応仁の乱が起こると、
守護代織田氏が斯波氏の家督争いに介入し、二家に分裂して抗争を始めた。

その後、混乱に乗じて守護代織田家の嫡流で元々守護代職を世襲していた「織田伊勢守家」の当主
織田伊勢守敏広が尾張守護所である尾張下津城に入城し、居城としたため、

文明八年(1476年)
斯波武衛家第十代当主斯波左兵衛佐義敏の命で、分家筋の「織田大和守家」の当主
織田大和守敏定が下津城を攻撃し、勝利を収めた。

文明十年(1478年)
下津城が消失した為、守護所が清洲城に移転されると、伊勢守敏広退治に成功した大和守敏定は、

同年九月九日
室町幕府から尾張守護代に任じられ、清洲城に入城する。

以後、尾張清洲城「織田大和守家」の居城となる。
また、下津城を追われた伊勢守敏広は尾張岩倉城を築き「織田伊勢守家」の居城としている。

文明十一年(1479年) 一月十九日
対立していた両者は尾張を分割統治することで和睦し、大和守家は海東郡、海西郡、愛知郡、知多郡の下四郡を支配する守護代となり、伊勢守家は春日井郡、丹羽郡、葉栗郡、中嶋郡の上四郡を支配する守護代となった。


戦国Check✓

尾張清洲城(おわりきよすじょう)
尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった城。

斯波 義重(しばよししげ)
戦国時代前期の武将。官位は左兵衛佐、治部大輔。斯波武衛家第六代当主。尾張国守護。
管領として長年に亘って室町幕府を支えた斯波義将の嫡男で、自身も幕府の宿老として重んじられた。

尾張下津城(おわりおりづじょう)
尾張国中島郡下津(現在の愛知県稲沢市下津高戸町)にあった城。

応仁の乱(おうにんのらん)
室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明九年(1477年)までの約十年間にわたって継続した内乱。
八代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの
有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。
乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。
十数年に渡る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。

織田 敏広(おだ としひろ)
戦国時代の武将。通称は与次郎。官位は兵庫助、伊勢守。織田伊勢守家初代当主。
別称は岩倉織田氏。尾張上四郡守護代。尾張岩倉城主。
斯波氏の被官である織田氏の一族であり、元々は尾張の守護代を世襲する織田総領家の立場にあった。

斯波 義敏(しば よしとし)
戦国時代前期の武将。官位は左兵衛佐、治部大輔。斯波武衛家第十代当主。尾張国守護。
享徳元(1452)年斯波宗家の義健が嗣子のないまま没したため養子に迎えられ、越前(福井県)、尾張(愛知県)、
遠江(静岡県)3カ国の守護職を継ぐが、重臣の朝倉・織田らと合わず、家督を退けられた。
のち、義廉(よしかど)と家督を争い、応仁の乱の一因を作った。

織田 敏定(おだ としさだ)
戦国時代の武将。通称は三郎、五郎。官位は大和守。織田大和守家初代当主。
別称は清洲織田氏。尾張下四郡守護代。尾張清洲城主。
清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の織田信定(織田信長の祖父)の父とする系図もあるが定かではない。


擁立
その後尾張国守護である斯波武衛家の力が衰えると、現守護代である織田大和守信友
斯波武衛家第十四代当主斯波治部大輔義統傀儡(かいらい)として擁立し、実権を奪い、
国主の様な振舞いをするに様になる。

天文二十二年(1553年)七月十二日
傀儡としての立場に不満を募らせた斯波義統が大和守信友の暗殺を企てるが、それを知った信友が激怒し、
家老坂井大膳とともに守護所に攻め入り義統を殺害する。

天文二十三年(1554年)四月二十日
「主家を討った謀反人」として、信長は叔父織田孫三郎信光と謀り、
信友に腹を切らせて清洲城を乗っ取り、本拠を尾張那古野城から清洲城へ移している。

尾張下四郡の支配者となった信長は、諸国の目を欺くため、斯波義統の嫡男斯波左兵衛佐義銀を国主に据え、
清洲城の本丸を譲り渡し、自らは北の櫓に退き守護斯波武衛家の補佐役として、
尾張国内の反対勢力を一掃していくことになる。
斯波義銀もまた、父義統と同様に傀儡として擁立され利用されるのである。


戦国Check✓

織田 信友(おだ のぶとも)
戦国時代の武将。通称は彦五郎。官位は大和守。織田大和守家第八代当主。
別称は清洲織田氏。尾張下四郡守護代。尾張清洲城主。
主家である斯波氏当主 斯波義統を傀儡の守護として擁立するが、信友自身も家臣である坂井氏や河尻氏に
家中の主導権を握られていたようである。
また元々は家来筋であった清洲三奉行の一人、織田弾正忠家当主 織田信秀と尾張国の覇権をめぐって争った。

斯波 義統(しば よしむね)
戦国時代の武将。官位は左兵衛佐、治部大輔。斯波武衛家第十四代当主。尾張国守護。
父斯波義達が今川氏親に敗れたあと尾張守護となり、守護代織田信友に擁立されて清洲城にはいる。
信友の専権をおさえるため、密かに織田信長に内通するが、それが信友の知るところとなり、
天文二十三年七月十二日、信友の家臣 坂井大膳により殺害される。

傀儡政権(かいらいせいけん)
事実上の支配者を他の権力者が、背後から管理・統制・指揮している政権である。

斯波 義銀(しば よしかね)
戦国時代から安土桃山時代の武将。官位は左兵衛佐、治部大輔。斯波武衛家第十五代当主。尾張国守護。
天文二十三年、父斯波義統が、尾張守護代の織田信友に殺害されたあと、織田信長に擁立され、斯波家当主となるが、
三河国の吉良氏、石橋氏とむすんで信長に敵対したため、信長によって尾張国を追放される。



会見
信長公記によると、

弘治二年(1556年)四月上旬
今川治部大輔義元の斡旋により、三河国守護吉良右兵衛佐義昭と、
尾張国守護斯波左兵衛佐義銀の会見が行われた。

吉良義昭を義元が補佐し、斯波義銀を信長が補佐する形で会見は行われている。
実質的には織田信長と今川義元の間で行われた会見である。

尾張国内に敵対勢力を持つ信長と、太原崇孚雪斎死後の軍事体制を整える必要のあった義元とが、
和睦を兼ねた形で行った和平会見である。

この会見で、義銀と義昭は、
互いに足利一門最高の格式を誇る家柄同士であったことから席次を巡って争ったという。


第十一話 名門 吉良家 参照 ⇒

戦国Check✓

吉良 義昭(きら よしあき)
戦国時代の武将。通称は左兵衛佐。三河西条吉良家第十代当主。
天文十八年(1549年)駿河の戦国大名 今川義元が安祥城主織田信広を攻めた際、兄義安は織田家に協力したため、今川軍に捕らえられて駿府へ送られた。
だが、義昭は逆に今川軍に協力したため、今川義元より東条吉良氏も一緒に受け継ぐよう命じられて東西の吉良氏を統一させて今川家に臣従することとなった。

太原 崇孚 雪斎(たいげん そうふ せっさい)
戦国時代の武将、軍師、臨済宗僧侶。駿河今川家臣。
今川義元の軍師として緒戦において手腕を発揮する。
また外交面でも、今川氏の政治顧問として駿甲相三国同盟などで活躍し、今川氏の発展に大きく寄与した人物。



締結
同盟締結のため、斯波・吉良両氏の軍勢が約束の地として定めた三河上野原に着陣。
互いに一町(約100m)ほどの距離を置いてものものしく人数を立て備え、義銀と義昭はそれぞれ陣前に床几を据え、
一歩も動かなかったという。

対面の席次のことで争いがあり、双方とも譲らなかったため、対面は相互に十歩程度前へ出て顔を合わせただけで、
格別の挨拶の品もなく終了したという。


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次回 第九十話 家督争い勃発・弟の謀反 ⇒



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