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織田弾正忠家で起きた家督争い

 【05//2014】

稲生の原の戦い



弘治二年(1556年)八月二十二日
三郎信長の直轄地である篠木に砦を築き謀反の姿勢を見せた勘十郎信行に対し、
信長は於多井川(現在の庄内川)対岸に名塚砦を築き、佐久間大学盛重を守将として入れ防衛拠点としている。


戦国Check✓

織田 信行(おだ のぶゆき)
戦国時代の武将。通称は勘重郎、勘十郎。官位は弾正忠、武蔵守。
織田信秀の三男。織田信長の同母弟。尾張末森城主。
林秀貞、柴田勝家らに担がれて兄信長と戦うが大敗し降伏する。
弘治三年十一月二日、信長に清洲城に誘い出され謀殺される。

佐久間 盛重(さくま もりしげ)
戦国時代の武将。大学允、大学助。織田氏の家臣。
はじめ、信長の弟信行付きの家老で、信秀の葬儀では信行に供奉している(『信長公記』)。
信長と信行とが対立し、家臣の多くが信行方に走った時には、盛重は信行付きの家老という立場ながら
同族の佐久間信盛らとともに信長方に味方する。
信長が信行方の柴田勝家や林秀貞と合戦(稲生の戦い)を行った際は名塚砦を堅持した。
その際、信行方の橋本十蔵を討ち取っている。



戦闘
そしてついに兄弟は衝突することになる。

弘治二年(1556年)八月二十四日
戦いは柴田権六勝家林美作守通具率いる信行勢による名塚砦の攻撃で幕を開けた。
報せを聞いて信長も尾張清洲城より出陣し、両軍は稲生(いのう)の原で激突する。

信長の軍は七百、それに引き換え信行の軍は、柴田隊千と林隊七百を合わせて総勢千七百
信長軍は敵軍の半分にも満たなかったのである。

信長はまず南東の柴田軍と激突し、信長方の武将 山田治部左衛門が討死している。
また十七歳にして小豆坂の戦いで功名をあげ、小豆坂七本槍の一人に数えられた程の猛将佐々孫介
討死している。


戦国Check✓

柴田 勝家(しばた かついえ)
戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は権六郎、権六。官位は左京大進、修理亮。
はじめ織田信行、ついで信長に仕えて戦功をたて、越前北庄城主となる。
本能寺の変後、信長の後嗣(こうし)をめぐり羽柴秀吉と対立。
賤ケ岳の戦いに敗れ、妻お市の方(信長の妹)とともに天正十一年自刃(じじん)。

林 通具(はやし みちとも)
戦国時代の武将。官位は美作守。林通安の子で林秀貞の弟。
兄秀貞や柴田勝家と共謀し、主君織田信長を廃してその弟信行を擁立しようと図る。
弘治二年八月二十四日、稲生の戦いで信長勢に破れ、通具は討ち死。
信長自らが通具の首級を挙げたという

尾張清洲城(おわりきよすじょう)
尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった城。

小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)
岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市)で行われた戦国時代の合戦。
三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で二度にわたって繰り広げられた戦い。

小豆坂七本槍(あずきざかしちほんやり)
小豆坂の戦いの際に活躍した織田氏の勇士七人を顕彰した呼称。
織田信光、織田信房、岡田重能、佐々政次、佐々孫介、中野一安、下方貞清の七名。

佐々 孫介(さっさ まごすけ)
戦国時代の武将。諱は不明。織田家臣。
織田信秀に仕え、小豆坂の戦いで兄政次と共に功名し、小豆坂七本槍に数えられる。
弘治元年(1556年)、信長の命により織田信光を討った坂井孫八郎を成敗する。
弘治二年(1557年)、稲生の戦いで武者大将として出陣し奮戦するも討死を遂げた。



鬼柴田

其の外究竟の者どもうたれ、信長の御前へ逃げかゝり、其の時、上総介殿御手前には、

織田勝左衛門、織田造酒丞、森三左衛門、御鑓持の御中間衆四十計りこれあり


鬼柴田と呼ばれ恐れられた、柴田権六勝家の突撃の前では、数で劣る信長勢には成す術が無かった。

屈強のものたちも次々と討たれ、信長の馬前まで敵が押し寄せたとあり、
織田勝左衛門  織田造酒丞信房  森三左衛門可成らの奮闘はあったものの、
信長は絶体絶命の危機を迎えることになる。

武骨の性格で、その秀でた武勇から鬼柴田と呼ばれた勝家は、
戦場における突進力では織田家随一の猛将という意味でかかれ柴田とも評されている。

イエズス会宣教師ルイス・フロイスは著書「日本史: Historia de Iapam」
勝家のことを「信長の重立ちたる将軍二人中の一人」と評している。

また「はなはだ勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人」
「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人」などと記された書簡も残されている。


戦国Check✓

織田 信房(おだ のぶふさ)
戦国時代の武将。通称は造酒丞。織田弾正忠家家臣。
織田の名字を名乗るが、織田一族ではなく、信房の祖父である岸蔵坊が織田姓を賜ったと伝えられる。
織田信秀に仕え、小豆坂の戦いでは戦闘中に負傷しつつも奮戦した。
信秀死後は、嫡男信長に仕えており、信長が弟信行と戦った稲生の戦いでは、柴田勝家によって佐々孫介が討たれ、
危機に陥った際に森可成とともに奮戦し、勝利に導いている。
桶狭間の戦いに参陣した記録を最後に記録が絶えることから、桶狭間の戦いで討死したとされることもあるが、
詳細は不明であり、没年もわからない。

森 可成(もり よしなり)
戦国時代の武将。通称は三左衛門。美濃 金山城主。
清和源氏の一家系、河内源氏の棟梁鎮守府将軍八幡太郎義家の七男、陸奥七郎義隆の子孫にあたる。
同じ織田氏家中には同族で毛利広盛がいる。
森氏は美濃国の守護大名である土岐氏に代々仕え、斎藤道三により土岐氏が滅ぼされた後、尾張国で織田信長に仕えた。
可成は槍の名手で、関兼定銘の十文字槍の使い手であり、武勇の誉れ高く「攻めの三左」という異名を誇った。
また、指が一本欠けており、手足の指が合わせて十九本であったため「十九」という蔑称で呼ばれる事もあった。

イエズス会(いえずすかい)
カトリック教会内の司祭修道会の一つ。耶蘇会(やそかい)。
1534年宗教改革に対抗してイグナティウス=デ=ロヨラらによって結成。
同会士ザビエルは日本へ初めてキリスト教を伝えるなど,アジアや新大陸をはじめとして世界各地で布教活動を行う。

ルイス・フロイス(Luís Fróis)
ポルトガル出身のカトリック司祭、宣教師。
イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。
戦国時代研究の貴重な資料となる「日本史」を記したことでも有名。



阿修羅

爰にて上総介殿大音声を上げ、御怒りなされ候を、見申し、

さすがに御内の者どもに侯間、御威光に恐れ、立ちとゞまり、終に逃げ崩れ侯ひき


うぉらぁぁぁぁぁぁー
信長は柴田勢に対し激怒し、悪鬼羅刹の如く刀槍をふるい物凄い怒号を上げ、突撃を敢行する。

その様を見た柴田勢の者共は、信長の威光を恐れ、士気が下がり、
ついには散り散りに逃げ柴田勢は総崩れとなった。

東の駿河国では今川治部大輔義元が尾張侵攻を企て、
西の美濃国では斎藤新九郎義龍が、織田伊勢守信安と結託し、織田弾正忠家を虎視眈々と狙っていた。

敵対しているとはいえ、この合戦の場にいる諸将は皆、織田弾正忠家の身内の者である。
それが今、家督を巡り敵味方に別れ、殺し合いをしている。

内部分裂による弾正忠家の弱体化が、何を意味するのかを理解していたのは
信長ただ一人だったのかも知れない。

総崩れとなり逃げ惑う柴田勢を追撃する事もなく、勢いに乗じて信長はそのまま南へ進み林美作守の陣営を強襲。
信長はみずから美作守を突き伏せて首を挙げ、林勢を追い崩した。

主将と兵が一体となった会心の勝利であった。


戦国Check✓

今川 義元(いまがわ よしもと)
戦国時代の武将。駿河国及び遠江国の守護大名。官位は治部大輔。今川氏第十一代当主。
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
寄親、寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才能を発揮して
今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、
尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死した。

斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家第二代当主。美濃一色家初代当主。
室町幕府相伴衆。
斎藤道三の嫡男だが、美濃守護土岐頼芸の子との説もある。
父道三が家督を弟に譲ろうとしたことから先手をとって弟たちを殺害、さらに道三と長良川に戦いこれを敗死させる。
その後、美濃侵攻をもくろむ信長と戦ったが、病没した。

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次回 第九十二話 内部抗争の決着・勘十郎信行の死 ⇒



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