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大軍を相手に籠城の日々 そして落城へ

 【15//2014】

明智城落城



土岐氏流明智一族の討伐に動き出した斎藤新九郎義龍は、

弘治二年(1556年)八月
織田弾正忠家宿老林佐渡守秀貞と、その弟の林美作守通具に近づき、
父斎藤山城守道三譲りの謀略で尾張国内を混乱させるのである。

弘治二年(1556年)八月二十二日
織田上総介信長の同母弟織田勘十郎信行が秀貞に担がれ謀反の姿勢を見せた。

同年八月二十四日
上総介信長と勘十郎信行は稲生の原で激突する事になる。
稲生の原の合戦は、信長勢の大勝利という形で幕を閉じたが、未だ尾張国では不安定な状態が続いていた。


戦国Check✓

明智家(あけちけ)
摂津源氏の流れを汲む土岐氏の一族で、南北朝時代の美濃国守護土岐頼貞の九男であった
土岐九郎頼基の子 明智彦九郎頼重の後裔とされる。
代々可児郡長山の明智城に拠ったとされており、戦国時代には明智光秀が出たことで著名となる。

斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家第二代当主。美濃一色家初代当主。
室町幕府相伴衆。
斎藤道三の嫡男だが、美濃守護土岐頼芸の子との説もある。
父道三が家督を弟に譲ろうとしたことから先手をとって弟たちを殺害、さらに道三と長良川に戦いこれを敗死させる。
その後、美濃侵攻をもくろむ信長と戦ったが、病没した。

林 秀貞(はやし ひでさだ)
戦国時代の武将。通称は新五郎。官位は佐渡守。
尾張国春日井郡沖村を本貫とする土豪。織田信秀、信長の二代に仕えた重臣。
織田信秀の嫡男信長の一番家老を務めた。

林 通具(はやし みちとも)
戦国時代の武将。官位は美作守。林通安の子で林秀貞の弟。
兄秀貞や柴田勝家と共謀し、主君織田信長を廃してその弟信行を擁立しようと図る。
弘治二年八月二十四日、稲生の戦いで信長勢に破れ、通具は討ち死。
信長自らが通具の首級を挙げたという

斎藤 道三(さいとう どうさん)
戦国時代の武将。通称は新九郎。官位は山城守、左近大夫。美濃斎藤家初代当主。
「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる人物。
名としては、法蓮房、松波庄五郎(庄九郎)、西村正利(勘九郎)、長井規秀(新九郎)、長井秀龍(新九郎)
斎藤利政(新九郎)、道三などが伝わる。

謀略(ぼうりゃく)
人を陥れるためのはかりごと。

織田 信行(おだ のぶゆき)
戦国時代の武将。通称は勘重郎、勘十郎。官位は弾正忠、武蔵守。
織田信秀の三男。織田信長の同母弟。尾張末森城主。
林秀貞、柴田勝家らに担がれて兄信長と戦うが大敗し降伏する。
弘治三年十一月二日、信長に清洲城に誘い出され謀殺される。

稲生の戦い(いのうのたたかい)
弘治二年(1556年)八月二十四日に、現在の名古屋市西区で起きた戦い。
尾張国の有力武将である織田弾正忠家で起きた、織田信長とその弟織田信行との家督争いから起きた戦い。
稲生合戦、稲生原合戦とも呼ばれる。


討伐
上総介信長の弟勘十郎信行を影で誘導し、謀反を起こさせた新九郎義龍は、

弘治二年(1556年)九月二十三日
先代山城守道三の死後、義龍に味方せずに中立的立場をとる明智一族を討伐するべく、

長井隼人正道利を総大将として、
長井忠右衛門道勝
国枝大和守正則
二階堂出雲守行俊
大沢次郎左衛門為泰
遠山主殿助友行
船木大学頭義久
山田次郎兵衛
岩田茂太夫


総勢三千七百の大軍で美濃明智城を包囲させた。


戦国Check✓

長井 道利(ながい みちとし)
美濃斎藤氏家臣。美濃関城主。通称は隼人佐、法名は徳翁。
出自は長井長広の子(美濃国諸旧記)、長井利隆の子(美濃明細記)、斎藤道三の弟(武家事記)と諸説あり、
はっきりしない。
道三の若いころの子で、義龍が生まれてから庶子扱いになったとも言う(横山住雄「斎藤道三」)
斎藤道三・義龍・龍興の斎藤家三代に仕えた重臣で、美濃可児郡・中美濃に勢力を築き、対織田戦で活躍した武将。

長井 道勝(ながい みちかつ)
美濃斎藤氏の家臣。通称は忠右衛門尉。
はじめ、父の道利とともに斎藤道三に仕え、弘治二年(1556年)、長良川の戦いでは父とともに斎藤義龍側に付いた。
道三・義龍・龍興と三代に仕えるが、斎藤氏滅亡後は、井上姓に改め、豊臣秀吉に仕えた。
のち弟の頼次とともに黄母衣衆に加わったというが定かではない。

国枝 正則(くにえだ まさのり)
美濃斎藤氏の家臣。通称は弥三郎・八郎兵衛。官位は大和守。西美濃十八将のひとり。
美濃本郷城主。

二階堂 行俊(にかいどう ゆきとし)
美濃斎藤氏の家臣。通称は出雲守。

大沢 基康(おおさわ もとやす)
美濃斎藤氏の家臣。通称は次郎左衛門。美濃鵜沼(宇留摩)城主。

遠山 友行(おおさわ もとやす)
美濃斎藤氏の家臣。通称は主殿助。美濃鵜沼(宇留摩)城主。


武功夜話によると、

土田甚助信正土田弥平次上総介信長へこの危急を報告し援軍を要請するが、
新九郎義龍の思惑通り「信行謀反」の影響で織田弾正忠家自体が危険な状態であった信長は、
美濃明智城救援の援軍を出す余裕がなく、尾張犬山城主織田十郎左衛門信清の手勢を救援に向かわせた。

また甚助信正、弥平次も前野党五十騎、生駒党四十騎等を従えて美濃明智城救援に駆けつけている。


戦国Check✓

織田 信清(おだ のぶきよ)
戦国時代の武将。通称は十郎左衛門、下野守。号は鉄斎。尾張犬山城主。
父信康が織田伊勢守家当主 織田信安の後見人となっていたことから、その配下となっていたが、
織田信秀死亡後は、犬山城で独自の勢力を保ち、信長の領地を押領して疎遠となったが、
信長より妹を貰い受けると、弟の広良同様仕える身になった。
その後浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援するが、
国外に追い出した織田信賢の旧領地の分与を巡って信長といさかいを起こし、信長と敵対する。

生駒 親重(いこま ちかしげ)
戦国時代からの安土桃山時代にかけての武将。通称は土田甚助、出羽守。号は道寿。諱は信正とも。土田生駒氏当主。
土田政久の子、あるいは政久と同一人物ともいわれ、生駒豊政の養子になる。
はじめ織田信康に仕え、後にその甥織田信長に仕える。子に生駒親正がいる。


滅亡
美濃斎藤勢三千七百の大軍に包囲された美濃明智城で籠城する明智勢は、
城代明智兵庫頭光安
明智次右衛門光久
溝尾庄左衛門
三宅式部大輔秀朝
藤田藤次郎
肥田玄蕃頭家澄
池田織部正輝家
奥田宮内少輔景綱
可児才右衛門
森勘解由
一族郎党合わせても僅か八百七十であった。

兵庫頭光安ら明智勢は、「思いのまま戦って屍を大手の城門にさらし本丸に墳墓を残すべし」と、
悲壮な覚悟とその心意気を示したという。

弘治二年(1556年)九月二十五日
二日に及ぶ篭城戦の末、覚悟を決めた光安は、「これより敵中へ討って出る。皆、我に続け!」
斎藤勢三千七百の大軍に光安は決死の覚悟で突撃を敢行するが、数で劣る明智勢は壊滅する。

明智城落城時に戦死した明智七武将を葬った「七つ塚」が今も城内に残されている。

またこのとき明智十兵衛光秀はというと、
叔父兵庫頭光安と次右衛門光久の幼子である左馬助秀満と、次右衛門光忠の将来、
そして「土岐氏流明智家の再興」を託され、
池田織部正輝家奥田宮内少輔景綱三宅式部大輔秀朝肥田玄蕃家澄らを付き従え
突撃前夜に城を脱出している。

美濃明智城の落城によって土岐氏流明智氏は滅亡し、十兵衛光秀は流浪の身となった。


戦国Check✓

明智 光安(あけち みつやす)
戦国時代の武将。通称は弥次郎。官位は兵庫頭。明智光継の次男。明智光秀の叔父。
美濃国明智城主の家督を継いでいた兄光綱が若くして亡くなると、その子光秀がまだ幼かったため、
隠居していた父光継に光秀の後見を命じられ、後に光秀が元服した後も明智家の家政を担った。
一説には光秀が家督を固辞したとも言う。

明智 光久(あけち みつひさ)
戦国時代の武将。通称は次右衛門。明智光継の三男。明智光秀の叔父。

明智 秀満(あけち ひでみつ)
戦国時代からの安土桃山時代にかけての武将。幼名は岩千代。通称は左馬助。丹波福知山城代。
「明智軍記」などの物語にのみ登場する人物。
光秀が織田信長に仕えると、光秀に従って各地を転戦し武功を立てて丹波国に五万石を与えられた。
光秀が織田信長を討った本能寺の変では先鋒となって京都の本能寺を襲撃。
羽柴秀吉との山崎の戦いで光秀が敗死すると坂本城に移って自害したとされる。
琵琶湖の湖上を馬で越えたという「明智左馬助の湖水渡り」伝説が残されている。

明智 光忠(あけち みつただ)
戦国時代からの安土桃山時代にかけての武将。通称は次右衛門、治右衛門、二郎四郎。丹波八上城主。
光秀の叔父にあたる明智光久(または明智光安)の子。
妻は光秀の娘。娘は細川忠興の側室。
本能寺の変では、信長の子の織田信忠らが篭る二条御所を攻撃した。
その際に鉄砲で撃たれ重傷を負い知恩院で療養していたが、
同年山崎の戦いで、光秀が羽柴秀吉に敗れ討ち死にした事を知ると、自害して果てた。


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